櫂に纏わりつく花弁

川縁に白い花弁が流れている。空中を雪のように舞う花弁が水面に触れてひたりひたりとその群れに続き、水面を白く飾って流れていく。

一人きりで象牙の船をこいでいると銀の櫂に花弁がまとわりついた。

もしこの花弁を拭き取ろうと思えばその花弁は擦れて痛み、醜い茶色に変色して捨てられそのまま土にかえることだろう。

櫂の重みに嫌気がさしてふと顔を上げると新しい生活を始める人々が歩いていた。花見は休日に済ませたのだろうか、桜を眺める人もいない。私自身も風景として見過ごされていく。今日は平日だ。

みんな私とは反対側の方向へ歩いていく。

「お客さん、どこへ行くんですか」

私は船に同席した黒髪の女性に話しかけた。手足は白い服に隠れて見えなかった。女性は特に何も答えなかった。聞こえなかったのかも知れない。だがあえてもう一度尋ねるほど興味のある話題でもないのでそのままにした。いつまでも女を見ている暇もない。船を進めなければならない。

櫂を動かしながら船がある程度安定してから、ちらっと女性の方を見たら女性は消えていた。

この船にはよくあることだ。幽霊のようなものなら昼間から出ないでほしい。

川上に上るにつれ周囲は柳や藤の質素な風景に変わっていったがそれでも白い斑点は途切れることがなかった。

さらに奧に進むとそこは鬱蒼として苔むした岩場になった。洞窟のようになっていて先に進むことはできない。穴の隙間から花弁が流れてくる。

この奧はどうなっているのか気になって目を細めてみたが、良く見えなかった。顔を上げるとそこには先ほどの女性がいた。

女性は手を差し伸べてこういった。

「来てくれると思った」

私は肩を空かした。何を勘違いしているのだろう。私は花弁がどこから来るかが気になっただけだ。

「船から降りることはできないから」

そうわざと冷たい口調で言って私が踵を返すと背後から凄まじい風がふき、
振り向けば女が髪を逆立て風を受けて膨れ上がった服をはためかせていた。

おおかた、彼女は山桜の精だろう。美しいが残忍で、よってくる人間を捕まえては搾り取ってしまう。誰からも褒めそやされるものだから誇り高く手を差し伸べれば誰もが喜ぶと思っている。山桜というだけあって口を開けば醜い出っ歯。それを気にして彼女たちはめったに口を開かない。

凄まじい桜吹雪が巻き起こり、船の周りに白い壁ができたようだった。
船には膜が張ったように花弁が跳ねのけられて一枚も届くことがない。

白い花びらは一枚一枚丁寧に桜で、離れてみても近づいてみてもきれいだった。私はその様子を見て楽しんだ。

しばらくそのまま眺めていると女は諦めたのか恨めしそうに私をキッと睨んで余韻もなく一瞬で消えていった。

傍にいる木々の精がくすくす笑っている。
「あぁ、あぁ。悪い男だね、女をその気にさせておいて…」

失敬な。私はただきれいなものを見たかっただけだ。悪気はない。
しかし私はその言葉は飲み込んで言った。
「彼女は奇麗だと思いますよ」本当のことを言うのは下品だろう。

「はぁ…彼女は散り際は潔いが、その根はしっかりとして執念深いぞ。」

はいはい。お説教は勘弁願いたい。私は木々よりずっと短命だ。そんなものよりもっともっと、きれいなものを見なければならないのに。

私は羽根を羽ばたかせるとピィと鳴いて空へ去っていった。

木々の精は呆れて言った「ああこれだから詩人というものは」と。
木々たちのため息が聞こえる。あいつはろくな死に方をしないぞ…と。

広い空に飛び出すとたまに良い香りの桜の花弁がふわりと横を通り過ぎる。
なんてきれいなんだろう。

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解説・あとがき

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描写はともかく、話だけ見れば情熱的な勘違い女と自由と美を愛する冷たい男です。

成就しない恋愛は人気が出ません。

人は男と女とみればくっつけてあれやこれや妄想したいのですから成就しない恋愛が楽しいはずがありません。
ハリウッドにも必ずいい雰囲気の男女が無理に挿入され、
巷では男と女でなくても鉛筆と消しゴムすらくっつけて恋愛を成就させるのですから、成就しない恋愛をいくら作っても売れるはずがございません。


そんな成就しない破断話を書きたかったのは、男側が女を突き放す物語が不足している気がしたからです。


寄ってくる男を袖に振る女の物語は多いものの、寄ってくる女を清廉潔白に袖に振る男を最近見かけてないな、と思いました。


思いつくのがマイナスにぶっ殺されるオルフェウスとかナルキッソスぐらいだったので、仕方ないから私が書きました。

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