見出し画像

線形代数学とは何か

線形代数学は理系の学生にとっては大学初年度で学ぶ科目であり、専門的な数学の基礎課程のひとつである。しかし、だからといってそれが初等的で平易であるわけではない。実際、この学問はとても深く、その全体像を鳥瞰することは難しい。「線形代数学とは何か」とは、実は大きな問いなのである。「線形代数学を理解する」とはどういうことか、何をどこまで理解できれば線形代数学をわかったことになるのか、といったことすら適切に言語化するのは至難の業だ。私が若い大学教員だったときにすでに古参だったある有名教授の弁にも「線形代数学をちゃんと理解している学生は少ない」というのがあった。このちゃんと●●●●の意味が難しいのだ。

線形代数学をマスターする上で最初の基本は、「行列の計算」ができること、もっと言えば「行列が使いこなせる」ことだ。これはおそらく誰でも同意するし、間違いのないところだろう。そのため、行列の基本、掃き出し法、階数の概念、固有値・固有ベクトル、対角化といったことを最初に学ぶ。しかし、それだけでは〈ちゃんとした理解〉ではない(と私は思う)。それはあたかも数の計算ができても、数について理解したことにはならないことにも喩えられるだろう。数を深く理解してもあまり役には立たないかもしれない(でも暗号には結構深い数論が使われる)が、線形代数をある程度深く理解することは、実際的な価値が高い。

というわけで、ある程度はベクトル空間や線型写像による抽象的な線形代数を理解しておくことが望ましいということになる。しかも、抽象的な線形代数学をマスターすることは、「行列の計算」レベルの線形代数にも思いがけないほど大きなご利益がある。行列の計算は(喩えるならば)座標を固定した計算だが、線型写像では座標によらない本質が浮き彫りになるからである。

この記事では私の「線形代数観」のひとつを述べようと思う。これによって「線形代数とは何か」という大きな問題への解を与えるというほど、大それたことではないし、線形代数学をちゃんと●●●●理解するための指針となるかどうかもわからない(人によるだろう)が、線形代数学という学問の見方として、ひとつの大局的なものではあると思う。

ここから先は

4,856字
数学にまつわるさまざまな話題(数学・数学と社会・数学と人工知能・歴史・数学者・研究・数学と人間・音楽と数学など)を、月に1〜3回くらいのペースで更新していきます。

このマガジンのタイトルにある「数学する精神」は2007年に私が書いた中公新書のタイトルです。その由来は、マガジン内の記事「このマガジンの名…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?