加藤文元

東京工業大学名誉教授 株式会社SCIENTA・NOVA代表取締役 宇宙際幾何学センター…

加藤文元

東京工業大学名誉教授 株式会社SCIENTA・NOVA代表取締役 宇宙際幾何学センター(IUGC)所長 数研出版高校教科書「数学シリーズ」著者 週刊ダイヤモンド・コラム「大人のための最先端科学」数学担当 数理空間トポス顧問

マガジン

  • 加藤文元の「数学する精神」

    このマガジンのタイトルにある「数学する精神」は2007年に私が書いた中公新書のタイトルです。その由来は、マガジン内の記事「このマガジンの名前『数学する精神』について」 https://note.com/katobungen/n/n15833429c008?magazine_key=ma34e3e4a63e3 (どなたでも無料で最後までお読み頂けます)で説明しました。このマガジンのテーマは、数学の研究者・教育者・普及者としての生き方や、数学の正しさ・楽しさ、数学や数学史、さらに音楽や芸術など数学の外の視点から数学を楽しむことなどです。更新は月3回を目標とします。数学や数学の歴史に興味がある人たち、数学を勉強したい、あるいは勉強中の人たち、そして数学を社会に活かしたいと考えている人たちにも読んで頂きたいと思います。

最近の記事

数学はどこまで「普遍的」か?

昨年12月17日のZEN大学(仮称)(設置認可申請中)・株式会社ゲンロン共同新公開講座第4弾・加藤文元×川上量生×東浩紀「真理とはなにか──数学とアルゴリズムから見た『訂正可能性の哲学』」 では、東さんの『訂正可能性の哲学』を巡って多くのことを議論し、大変有意義な時間でした。 この鼎談は6時間以上にも及ぶ長いものでしたが、その中でももっともホットだった話題の一つに「数学の正しさは絶対的か」という感じの議論がありました。特に、東さんは私に「他の星から宇宙人がやってきたとして

    • 空間とは何か(4-2) 非ユークリッド幾何学発見における空間(後半)

      本稿は連載記事「空間とは何か」の第4回目「非ユークリッド幾何学発見における空間」の後半である(前半はすでに公開しています)。

      • このマガジンの名前『数学する精神』について

        (このポストは本マガジンの説明として書いたものです。マガジン内の記事ではありますが、どなたでも最後までお読み頂けます。) 確か2007年の1月くらいのことだったと記憶している。とある大手の出版社の編集者さんから、突然、京都の私の研究室に電話があった。聞けば、私の知り合いの配偶者さんのご友人とかで、初めてお話しする方である。内容は仕事の話で、なんと新書の執筆依頼であった。 今でこそ一般向けの数学の本はとても多い。当時もそこそあったとは思うが、これほど多くなかったと思う。しか

        • 大抵の概念は複合概念である

          以前書いた「「$${0}$$と$${0}$$の最大公約数」とは?」 では、数学の定義に関する問題点として 定義が曖昧なので起こる問題点 定義が「相応しくない」ので起こる問題点 の二つがあると述べ、後者の例について述べた。ここでは前者について述べよう。 関数 「関数」という概念ほど、その定義が(微妙に)一定しないものはない。ネットで調べても、その定義は(少なくとも形の上では)さまざまだ。そのいくつかは許容範囲だと見なすこともできるが、端的に間違っているものも多い。さ

        数学はどこまで「普遍的」か?

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        • 加藤文元の「数学する精神」
          ¥500 / 月

        記事

          空間とは何か(4-1) 非ユークリッド幾何学発見における空間(前半)

          非ユークリッド幾何学の発見とは一体何なのか? ユークリッドの平面幾何学はユークリッド平面、すなわち我々が普段現実のものとして普通に理解している「平らな面」に基づいて展開されている。すなわち、それは我々の視覚的所与としての平面というわかりやすいモデルと、そこで観察される幾何学的現象がもとになっている。ユークリッド『原論』第1巻の定義や公準(第五公準(=平行線公理)も含む)などといった、いわゆる仮定(ヒュポテシス)も、そういった視覚的・現実的所与があって、それによって組み立てら

          空間とは何か(4-1) 非ユークリッド幾何学発見における空間(前半)

          偽カマンベールチーズと現代数学

          「数学でどのような研究をしているのですか?」と質問されることは多い。その度ごとに死ぬる思いだ。 なぜ、現代数学は説明しづらいのか?抽象的すぎるから?確かに。しかし、それ以上に、身近な事物を使って説明できないという事実が決定的だ。抽象的でもそれなりに身の回りのものと少しでも関係があれば、そこから落ち着いて話を紡ぎ出すことができる。しかし、数学ではそれすら難しい。リジッド幾何学の定理なんて、どうやって説明しますか? もうずいぶん前にことになるが、フェイスブック上で一つの実験を

          偽カマンベールチーズと現代数学

          いわゆる「出題ミス」について

          今年も受験シーズンがやってきたが、残念ながら出題ミス(?)の報道などもちらほらと聞かれる。実際に大学入試の採点や作題に長年従事し、このマガジンでも「大学入試について思うこと」や「採点基準と頭のよさ(1)〜(5)」などの記事を書いてきた私にとっても、いろいろと考えさせられる次第である。 報道などで出題ミスとされるケースは、チェック体制の甘さやうっかりミスなどから起こるものとされることが多い(今年もそういう種類のものがあったようだ)。しかし、端的にいって、報道されるようなミスが

          いわゆる「出題ミス」について

          なぜ抽象的な一般論を学ぶべきか?

          数学の話は抽象的になる傾向があり、多くの場合それが難しさやとっつきにくさの原因となっている。現代数学は言うに及ばず、高校数学も中学以前の数学に比べて、その抽象度は大幅にアップする。抽象性は単に物事を難しくしているだけなのではないか、と感じる人も多いだろう。しかし、抽象度の高さをいったん克服してしまえば、実は抽象性は必要なことであり、自然なやり方だったと気づかされることも多い。数学に限らない話だと思われるが、抽象度の高い議論は端的に必要なのであり、必要だからこそさまざまな場面で

          なぜ抽象的な一般論を学ぶべきか?

          大学の授業について

          大学の授業中に学生が鍋を作って食べながら授業を聴いているという様子がSNS上で話題を呼んでいる。まー、私も教員がそれでいいというなら(そして授業を受講している学生さんもそれなりに同意しているということならば)それで構わないという考え方に近い。私が感じるのは、鍋を作って食べながらでも聴ける(参加できる)授業ってどんなものだろう?という疑問だけだ。 私も一昨年まで大学教授だったし、1997年に博士号を取得した直後から、九州大学(3年8ヶ月)、京都大学(10年半)、熊本大学(4年

          大学の授業について

          数学における発見のプロセス

          「空間とは何か」という連載を進める中で、さまざまな時代のさまざまな人たちによる空間概念について考えている。特に興味深いのは、非ユークリッド幾何学を発見したとされている3人、ガウス、ボヤイ、ロバチェフスキーの空間概念である。後者の2人は実際にその発見を公に宣言したわけだが、その当時は非ユークリッド幾何学の空間モデルはなかった(技術的・思想的に構成できなかった)。それなのに、どうして彼らは非ユークリッド幾何学の発見を確信できたのだろうかという点が、興味深いのである。 ユークリッ

          数学における発見のプロセス

          空間とは何か(3) ユークリッド幾何学の空間概念

          古代ギリシャにおける明証性の変革 「証明する」というギリシャ語δείκνῡμιの原義は「光のもとにさらけ出す」であるという。古代ギリシャでは、例えばタレスの幾何学5命題にもあるように、その初期の段階から幾何学の事実が命題化されていたが、その論証は視覚的な直観に訴えるものが多かったと考えられる。 (タレスの幾何学5命題の謎については、すでにこのnote有料マガジン内の記事でも扱っていますので、興味ある方は参照してください。) すなわち、最初期の古典ギリシャ時代における幾何

          空間とは何か(3) ユークリッド幾何学の空間概念

          空間とは何か(2)

          古代ギリシャ人たちの「空間」 古代ギリシャ世界は、後の時代の科学や思想に拭いがたい影響を及ぼしている。だから、「〇〇とは何か」と考える際には、どうしても古代ギリシャ人たちにとっての〇〇とは何だったのか?という論考を避けて通れない。 しかし、このような動機は、結果として前途多難な問題提起となることが多いだろう。「数学とは何か」と考えるなら、古代ギリシャ人にとっての数学について知る必要があるだろうが、それはもうそれ自体がとても深くてチャレンジングな問題である。私はここで「空間

          空間とは何か(2)

          線形代数学とは何か

          線形代数学は理系の学生にとっては大学初年度で学ぶ科目であり、専門的な数学の基礎課程のひとつである。しかし、だからといってそれが初等的で平易であるわけではない。実際、この学問はとても深く、その全体像を鳥瞰することは難しい。「線形代数学とは何か」とは、実は大きな問いなのである。「線形代数学を理解する」とはどういうことか、何をどこまで理解できれば線形代数学をわかったことになるのか、といったことすら適切に言語化するのは至難の業だ。私が若い大学教員だったときにすでに古参だったある有名教

          線形代数学とは何か

          月光ソナタ

          太陽の光は強烈なので、長い時間見つめることはできません。でも、月を見つめ続けることはできます。月は夜空に浮かぶ姿で見えるものです。もちろん、昼間の太陽だって「青空」という背景に浮かんでいるに違いないでしょう。ですが「青空の中に浮かび上がっている太陽」という姿で太陽をイメージする人は、あまりいないと思います。そういうイメージができるには、太陽はあまりにも眩しすぎるからです。 このことは、昼間に見える月の姿を考えてみると、よくわかると思います。昼間でも月が見えることがありますが

          月光ソナタ

          空間とは何か

          「空間とは何か」とはあまりにも大きなテーマであるが、筆者は数学者の立場から数理科学的な視点で論じてみようと思う。数理科学的空間はもとより理念的なものではあるが、例えば一般相対論における時空概念にも見られるように、しばしばそれらが現実の空間のモデルになることもあり、一概にそのすべてが理念にとどまるとは断定できない。本稿ではひとまず、数理科学的な空間論への〈序説〉として、続編【注:本稿は筆者のnote有料マガジン「数学する精神」におけるシリーズ『空間とは何か』の初回記事として執筆

          空間とは何か

          採点基準と頭のよさ(5)

          8月から書き始めている「採点基準と頭のよさ」シリーズ、今回は第五弾です。 初めてこのシリーズの記事を目にする方は、シリーズ最初の記事からお読みいただければ、どのようなことが書いているかわかると思います。

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          採点基準と頭のよさ(5)