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数学における発見のプロセス

「空間とは何か」という連載を進める中で、さまざまな時代のさまざまな人たちによる空間概念について考えている。特に興味深いのは、非ユークリッド幾何学を発見したとされている3人、ガウス、ボヤイ、ロバチェフスキーの空間概念である。後者の2人は実際にその発見を公に宣言したわけだが、その当時は非ユークリッド幾何学の空間モデルはなかった(技術的・思想的に構成できなかった)。それなのに、どうして彼らは非ユークリッド幾何学の発見を確信できたのだろうか●●●●●●●●●●という点が、興味深いのである。

ユークリッド幾何学ですら、それがひとつの理論として無矛盾であるか否かという問題は極めて非自明である。しかし、ユークリッド幾何学には直観的に極めてわかりやすく受け入れやすい「平らな面」というモデルがあるので、この点が問題視されることは、歴史上ついぞなかったと言ってよい。通説では「ボヤイやロバチェフスキーは平行線公理を否定する公理から出発しても矛盾のない幾何学が構築できることを発見した」と言われるが、矛盾のない幾何学●●●●●●●●とはどういう意味か?数学(基礎論)的な意味で無矛盾であることが示されたわけでは決してない。このあたりのアンビバレントさが、ガウスをして自分の非ユークリッド幾何学の公表を躊躇わせた。それなのに彼らは間違いなく、非ユークリッド幾何学の発見を確信していたのだ。それはなぜか?

非ユークリッド幾何学の発見に比べるとずっと規模は小さいが、私も学生時代にちょっとした数学上の発見のプロセスを経験した。1990年にちょっとしたきっかけから計算を始めて、結局$${p}$$進数の発見にまでこぎつけたことがある(もちろん、$${p}$$進数は19世紀から20世紀への変わり目くらいにクルト・ヘンゼルによって発見されていたわけだから、結局私のは発見ではなかったわけだが、一応独立に(再)発見していた)。これと非ユークリッド幾何学の発見とを比較するのは、あまりにも針小棒大が過ぎるが、彼らがどのような心理的過程によって上述のような「確信」を持つようになったのかという問いに対して、そこそこ参考にはなるかもしれない(ならないかもしれない)。

状況として似ているのは、非ユークリッド幾何学にしても$${p}$$進数にしても、どちらも一見してトンデモ●●●●に見えるという点だ。平行線公理を否定した仮定のもとに議論を進めると、例えば「長さに絶対的な単位がある」など非常識な結果がいろいろ出てくる。だから同時代人には簡単に受け入れられるような代物ではなかった(だからガウスも沈黙した)。$${p}$$進数も初めてそれに接する人には無茶なものに思えることだろう。しかし、当時ほとんどまったく数学を知らなかった(生物学科の学生だった)私でも、それが「ちゃんとした」数であるという確信を持つことができたし、それには「ちゃんとした」経緯と理由があったように思われる。

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このマガジンのタイトルにある「数学する精神」は2007年に私が書いた中公新書のタイトルです。その由来は、マガジン内の記事「このマガジンの名…

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