奥森皐月 人生5回目説

「じゃ、結婚しよう?」

私はそう岩井さんに言った。ここに来るまで5回かかった。
早く結婚しなくちゃいけないのに、岩井さんがなかなか結婚に踏み出さない。
何回もそれらしい態度を取ってきているのに、また今回も岩井さんは、自分から言葉にすることはなかった。

でも、今回はどうやら「う、うん、お、俺も」と言ってくれた。
それはそれは大変ダサかったが、岩井さんが言葉にしてくれただけで十分だ。
なぜなら前回言ったときは「ごめん、やっぱり俺にはその選択はできない」だったから。

今回のターンでは、今年の半ばに「岩井さんは、岩井さんのことが大好きな私のことが好きなだけですよね?じゃ、私の好きがなくなったら私のことは好きじゃなくなっちゃうんじゃないですか?」と言ってやったのだ。

これは戦略的に起こした喧嘩だったし、若干賭けでもあった。

1回目

13歳の頃から、テレビ番組に出るようになり、大人と接する機会が多かった。
ただ多いだけではなく、大人が大人に指図して言いなりになる人や、指図される側が細やかな反抗を企てては文句を吐き捨てるような世界を見てきた。
おじさんが若手の女性をいびることはよくあったが、女性はうまく受け流す。厄介なのはいびられる立場が男性のときだ。
おじさんの顔色を見ながら、いびられる男性にも好かれながら、うまく番組内でのポジションを探す。
中には気に入られず、番組に呼ばれなくなった子もいた。
先週まで楽しく話したり、SNS用の動画を撮影していたのに、次の週から呼ばれていない。そんなのは日常茶飯事だった。

そんな過酷な環境に岩井さんはいた。正確には担当の曜日は違ったが、スタッフの指示を的確に受け取り、ただ単純に従うのではなく、プラスで何かを生み出そうと考えながら行動し、実績を積み上げていくタイプのお笑い芸人を初めて見たのだ。

衝撃だった。

なんとしても近づきたいと思った。
ただ、私はとある日に、ふとしたプロデューサーの指示をうまく理解できず、番組で大きな見せ場を作れないまま収録を終えてしまった。
たったそれだけだった。なのに、次の週から呼ばれなくなってしまったのだ。
そうして、私の芸能生活はあっさりと終わった。特に意志もないまま実家から電車で1時間以内で通える大学に入り、なんとなく興味がある海外文学を専攻した。大学はそれなりに面白かったが、岩井さんのような人には出会うことはなかった。
そのまま興味のない専門商社の事務へ入り、数年働いた後、あっさり交通事故で死んでしまった。21歳のときだった。

そして、また2回目の人生がスタートした。

2回目

2回目は、もうプロデューサーの指示で失敗しないと心に近い、どんな大人の言うことも1歩先まで見越して行動し、誰よりも気に入られるよう、徹底した。
ただ言うことを聞くだけではなく、芸人のラジオを聞きまくり、知識を誰より蓄え、同年代から頭が出るよう、いろんな芸人エピソードを叩き込んだ。

努力の結果、私はプロデューサーから好かれ、円満に番組を卒業することになった。
ただ、岩井さんの連絡先も知らない私は、岩井さんと仲の良い芸人に近づき、3人で食事に連れて行ってもらうことで、アプローチを試みた。
岩井さんの話は、私にとってやはり刺激的だった。岩井さんの話を聞くたびに私はうっとりした。憧れから、好きという気持ちに変わったところをはっきりと自覚した。
そして、交換した岩井さんのLINEに、嬉しかったことや、ささいなニュースを送り、返ってくる通知に心を踊らせた。

ただ、そんなウキウキした私の心を見透かすように、岩井さんは私に「未成年と一緒にどうこうするとか俺は絶対ない」と言ってきたのだ。
まだ何も言っていないのに、予防線を張られたようで内心とてもつらかった。

だから私は待つことにした。20歳まであと3年。待てば良い。そう思っていた。
だけど、その待っている間に岩井さんは結婚してしまった。前にエピソードトークで話していた年上の子持ちの女性とだった。
一度は別れたはずなのに、そんなことってあるのだろうか。酷い。
半年ほど、まともに生活ができなかった。
そして、そろそろこうしてもいられないと思い、重い足取りで散歩に出かけたその日、私はまた命を落とした。また21歳だった。

3回目

3回目は、2回目以上にプロデューサーとはうまく関係性を築きながら過ごしていた。番組には呼ばれるが、それだけでは岩井さんに近づくことができない。
どうやったら私が二十歳になるまでに、岩井さんと元カノが出会わないようにするかばかり考えていた。
そんな防ぐにも難しい事象をどのように阻止するかを考えていた矢先、法律が変わった。成人の定義が18歳となったのだ。
奇跡が存在するのだと驚きが止まらなかった。

私は2回目同様、岩井さんと岩井さんの仲の良い芸人と食事に行っては、岩井さんの話を食い入るように聞いては、自分の好きという気持ちを再確認していた。
そして、岩井さんはまた私のことを未成年としか見ず、私との予防線を張った。
ただ、私はこの時思っていた。岩井さんは成人の年齢が18歳になったことを知らない。そう、岩井さんが私に予防線を張った時、私は成人になる2か月前だったのだ。

だからこの2ヶ月は期待しながらも、岩井さんに出会いが訪れないことを強く祈った。
岩井さんが私のことを意識せざるを得ないよう、番組出演や岩井さんの相方澤部さんとの仕事ももらえるよう、様々な努力をした。

そして、18歳の誕生日がきた。私は待ちに待ったという感じで岩井さんに「成人になりました」とLINEした。岩井さんはキョトンとしていたが、それがどうやら告白に近いものと捉えてくれた。

ただ、それでも岩井さんの気持ちは動かなかった。
「たとえ成人になったとしても、世間から厳しい目で見られる。俺はそれに耐えられない」
そう言った。意気地なしだ。

また距離を置かれてしまった。
そして、私はどうやってアプローチしてよいかわからないまま、時間が過ぎ、旧来の20歳になったが、特に岩井さんとの進展はなく、また21歳で寿命を迎え、この世を後にしてしまった。

4回目

今回は、岩井さんが自信を持って、付き合いを考えられるよう、家族との接点を増やすことにした。
岩井さんと岩井さんの仲良しの芸人と食事に行った際も、食事が出てくるのが遅いお店をあえて選び、岩井さんに家まで送ってもらうように仕向けた。
両親はいつでも私の味方でいてくれたが、岩井さんとのお付き合いがより上手くいくよう、父親にはHUNTER×HUNTERのゾルディック家のようなロン毛になってもらった。
家族写真なんか撮ったこともなかったのに、岩井さんに見せるために、撮影して、いつでも出せるようにしておいた。

岩井さんはその家族写真を見て笑ってくれた。

なので、18歳の誕生日が来て、私が成人したことを伝えた日、「付き合うなら先に家族に挨拶しよう」と言ってくれた。
初めて父と岩井さんが会った日、父は岩井さんにバレないようぎこちないウィンクをしてくれた。

なのに、半年後「岩井さんは世間の目が厳しい。皐月にはまだ将来がある。俺はそんな皐月の未来を背負えない」そう言って、私の前を去った。

父は長い髪を面倒くさそうに結いながらも、いつかまた岩井さんの気が変わるんじゃないかと期待して、ずっと髪の毛を伸ばしてくれた。

それがまた心に負担をかけ、どうして良いかわからないまま時間だけを過ごしていった。
そしてまた寿命が来てしまったのである。

5回目

今回こそ、岩井さんと結ばれたい。
念には念を重ね、私はいつも以上に番組で精を出し、結果を残していった。
岩井さんとラジオについて話す機会もなんとか作れたし、その話を岩井さんもラジオでしてくれた。
父にはまたロン毛になってもらい、ゾルディック家の写真を準備し、父との挨拶もあっさり終わり、付き合ってからは家族揃って焼肉キングに行くくらいの仲になった。

だけど、このままだと岩井さんは私のことを振ってしまう。だから賭けに出た。
「岩井さんは、岩井さんのことが大好きな私のことが好きなんじゃないか。」人生で初めてここまで強い疑問文を発した。

岩井さんは黙ってしまった。けど、数分の沈黙の後、「俺は一人の女性として皐月が好きだ」と言ってくれた。

4回の交通事故を経て、やっと得たのだ。
多幸感とはこのことだ、心からそう思えた。

そして、2023年11月、私達は結婚した。ロン毛の父が後押ししてくれた。

結婚を公表したとき、想定通り世間は厳しかった。
それでも岩井さんは、「ラジオで今までのこと全部話して良い?」とニマニマしながら聞いてきた。
私は笑いながら頷いた。

岩井さんはこの生活が長く続かないことを知らない。
よくわからないが、なぜか私は21歳で死んでしまうのだ。

私が18歳で結婚したかったのには理由がある。結婚生活を少なくとも3年はしてみたかったからである。
だって、同じイベントを3回は過ごしてみたいから。
岩井さんとのGWも、クリスマスも毎回楽しいに決まっている。
岩井さんのことだから、3回目が一番凝ってるに決まっている。
私はそれを経験したいのだ。

だから、私はなんとしても早く結婚したかった。
岩井さんごめんね。でも、ありがとう。

これからよろしくお願いします。


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