見出し画像

〈叱る依存〉脱却にはコーチング!

村中直人著『〈叱る依存〉が止まらない』の読書メモとそこから考えたことについてのnoteです。

本の内容について

本書は、「叱る」という行為が効果がないだけでなく、社会の全体の病にもなっており、制度やシステムの中で問題を起こしていることを、心理学、脳・神経科学の観点からエビデンスを示しながら、解き明かした本です。そして、この本のユニークなポイントは、「叱る」ということをアディクション(依存症)との類似性を見出し、説明を試みていることです。
著者の村中直人さんは、臨床心理士・公認心理士として、世の中的に発達障害とカテゴライズされる方への支援を生業の一つにされている方です。発達障害の方の学習支援などをされる中で、「叱る」ということに対して問題意識を感じ、ニューロダイバーシティという概念を深める中で、脳・神経科学の知見も取り入れながら、「叱る/叱られる」ことにまつわる事象を理解してきました。
「なぜ人は叱るのか?」「叱る依存のメカニズムとは?」「叱る依存に陥らないためには?」などが気になる方は、ぜひ一読されることをお勧めします。お子様をお持ちの方、教育関係者は必読と言っても良いかもしれません。なぜなら、本書の内容しかり、僕の個人的体験と重ね合わせても、ほとんどの場合、叱るということは子どもの可能性を妨げる行為だと考えているためです。

著者の村中さんが強調されていたのは、本書が「叱る」人を「叱る」本にしたくないということでした。この本を読んで理解したのは、誰しもが状況によって叱ってしまう可能性を孕んでおり、叱ってしまう人を攻撃したいわけではない、自分を責めたり、ダメだと思わないでほしい、そんなメッセージがあるように感じました。ですので、以下のメモにもそういったニュアンスが出ないように配慮したつもりなのですが、なかなか受けての解釈をコントロールするのは難しかったりしますので、最初に書いておきます。

「叱る」を手放すために

この本を読んで、「叱る」を手放すために、どうすればいいのか?ということを考えました。①は本書の内容そのままです。②は本書の内容をもとに、自己理解するという観点の考察を付け加えています。③はコーチングでいつもやっていることが、叱るを手放すことに役立つかもしれないと思い、自分の考えを書いています。

① 「叱る」ことを正しく理解する(信念の転換)
まず、「叱る」ことに期待している効果が過大評価であること、そして、「叱る」ことがどう依存につながるのか?を理解します。
② 「叱ってしまう」メカニズムを理解する(自己理解)
「叱る」ことについて正しく理解したとしても、ついつい叱ってしまうなんてことがあると思います。そのメカニズムを理解します。
③ 「叱る」を手放すために(実践)
自分が叱ってしまうメカニズムを理解したら、そこから脱却するための実践について考えます。

「叱る」ことを正しく理解する(信念の転換)

本書を読むのが一番いいのですが、簡単にお伝えするため、叱ることが過大評価されているということについて、取り上げます。

叱るの過大評価を解く

本書では、心理学、脳・神経科学の観点から、叱るに効果がないということの裏付けをしています。
叱ることで、相手にネガティブな情動が伝わると、扁桃体が活性化し、苦痛の回避に注意が向きます。扁桃体を中心とした脳の回路は、危険な状況を脱して生き延びられるようにする「防御システム」です。扁桃体が過度に活性化するようなストレス状況は、知的な活動に重要だとされる前頭前野の活動を大きく低下させます。(危険な状況でゆっくり考えて学んでいる余裕はないですよね)
つまり、扁桃体を中心とした防御システムは人の学びや成長を支えるメカニズムではないということです。
叱る側としては、学んでほしい、こうあってほしいと思って願っているのですが、苦痛を回避するために言われた通りにしているだけで、本当の意味での学びは起きていません。(なので、何度も同じことが起きたり、別のシュチュエーションでは学びが活きません)

本書では、学びのシステムとしての「冒険システム」についても記述がありました。興味がある方は、ぜひ本書をお読みください。

「叱ってしまう」メカニズムを理解する(自己理解)

本書を読んで、「叱る」ことが効果がないことがわかったとして、明日から「叱る」ことをやめられるかといえば、そうではないかもしれません。なぜなら、叱る依存に陥っている可能性があるからです。

わかっていても変えられないというケースは、どういう時にそれが起こるのかといったメタ認知や自分のメンタルモデルを理解するなどの自己理解がまずは必要だと思います。

「叱る」ということを依存症の観点から捉え直すことによって、自分を理解する手がかりが得られると思いました。

自己治療仮説

自己治療仮説とは、何らかの苦痛を抱えている場合に、それを一時的に回避する方法へ無意識のうちに依存するという仮説です。依存症に陥るのは、快だけが条件ではないということです。(例えば、初めて知ったのですが、薬物などは一度摂取しただけでは依存症にならないそうです)

前提として、「叱る」という行為には、快情動が伴うということがあります。本書では、自己効力感(自分が状況に影響を与えられる感覚)、処罰感情(悪い人には罰を与えたい感情)の充足が挙げられていました。

これらを合わせると、叱る依存に陥るのは、何らかの苦痛を抱えていて、そこから一時的に逃れるために、叱るという快に依存するということが導かれます。叱られる側に原因があるのではなく、叱る側のニーズを満たすために叱っているという見方になります。

そこで、ついつい叱ってしまうという場合、考えてみたいのは、どんな苦痛を抱えているのでしょうか?また特的のシチュエーションで叱ってしまうという傾向がある場合、その時に(無意識も含め)何を感じているのでしょうか?ということです。この辺りを理解していくことで、解決の糸口が見えてくるかもしれません。ここから、対話やコーチングが活躍しそうです。

あるべき姿への固執

ここは本書ではそこまで強調されていなかったように感じましたが、あるべき姿が狭い、あるべき姿へ固執してしまうということも、叱るを引き起こしてしまう要因にあるように思いました。

自分の信念は無意識であることは少なくないです。叱ってしまった経験を振り返って、自分はどんなあるべき姿を持っているのか、それはどのような経験から培われてきているのかルーツを理解することが、自己理解の第一歩です。この辺りも、対話やコーチングが有効ですよね。

「叱る依存」からの脱却(実践)

上記から、「叱ってしまう」状況から脱却するための自己理解のポイントを整理すると次の二つになります。

  1. 何らかの苦痛や満たされない気持ちを理解する

  2. 自分が持っているあるべき姿を認識する

実践の基本的な方向性としては、コルブの経験学習モデルを使って、実験と内省を繰り返すことです。

1.については、理解した後、コントロールする方法について試行錯誤をすると良いと思いました。(解消できるならそれが望ましいですが、難しい場合も多い)
依存先を増やすという考え方がありますが、ニーズを別の方法で満たすことを考えたり、問題を共有する人を増やしたり、さまざまなアプローチがありますので、実験をしていきます。

2.については、あるべき姿の再定義をした後、同様のケースに遭遇した場合、どんな行動が取れるか?という別の行動アイデアを持って、実験することで、頭だけでなく、体感覚を持って、あるべき姿の多様化を目指します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?