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インクルーシブ教育が誤解されている

  最近、SNSでちょいちょい見かける『インクルーシブ教育』アレルギー?

できるわけない!と あきらめの声。

特に顕著になってきたのは、 国連が、
特別支援学級を無くせ!
と、言ってきた頃からでしょうか?

アレルギーに見られるのは

 特別支援学級を無くしたら障害児はどこ行ったらエエねん?

ごちゃまぜの中、合理的配慮はムリ!

普通級で、障害児は健常児の邪魔でしかない!

インクルーシブ教育推進で、障害・福祉を縮小させるな!

  現実に、今の日本で特別支援学級を無くすのは無謀です。
 日本で『インクルーシブ教育』は、無理?

  ボクは常々思ってるんですが…

 無くさないといけないのは、特別支援学級ではなく、むしろ普通級の方ではないかと。
今の普通級を無くして、全児童が今の特別支援学級扱い、で、それしかクラスがないので名称はそれが⇒普通級

 現行の特別支援学級スタイルが『インクルーシブ教育』の姿に近いと考えます。
  無理繰り特別支援学級を削って、障害児を普通級へ放り込むだけでは混乱しかありません。

 無くすのは、普通級の方。

ボクはそう思います。
 
 

  もちろん、授業は個々の学力に合わせて、個々の科目で飛び級、降り級が必要です。

 例えば、ASDで知的障害と診察されていて凸凹、算数だけいつも100点満点なら、算数の授業だけ上級のクラスへ。

学力は高いのに、ボールが上手く投げられない子は、体育だけは下級のクラスで。

能力に応じて平等になります。

学力を上げるだけなら、能力ごとに分け隔て、塾スタイルの方が効率的です。

 しかし、加えて学校の役割は、人との関わり、社会性を養う場でもあるはずです。
 ごちゃまぜの中で、生きること。
ごちゃまぜの中には、当たり前に障害児がいます。

  児童によっては、授業を受けるにあたって、様々な支援が必要な場合があります。
 個々に、合理的配慮が必要です。

 障害児かどうか?
 より、
個人の特性は? 
その特性が招く障壁をどうやって取り除くか?

 …なんてことは、教育に携わる方には釈迦に説法で、その体制を実現するには今の体制のままでは無理、の声が出て当たり前。

インクルーシブ教育には むちゃくちゃ 手間と、人手と、お金が掛かります

  普通級を全部、特別支援学級仕様にするくらい大変なことです。

  残念なのは、最も推し進めないといけない政治家や行政の立場の方が、そこんとこを理解していないのか、わざと避けているのか、お経のように『インクルーシブ教育』と唱え「自分は やってる感」をアピールするだけで、 無理やり特別支援学級を削る訳にもいかず、何も進まず。

 その勘違いのせいで『インクルーシブ教育』そのものを反対する方々も現れています。

インクルーシブ教育で、障害者福祉を縮小させるな!

と。

本来、障害者福祉を拡大してこそ『インクルーシブ教育』なのに、おかしな事になっています。

 ダイバーシティも同様、いやそれ以上、ごちゃまぜには手間人手お金が掛かりそうですね。

  子供への『インクルーシブ教育』がまだまだなのに、ダイバーシティは、もっと遠い夢の話なのかも。


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