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良い失敗 悪い失敗

2年前、僕は「日本人研究者、アメリカ最後の挑戦」と題して、noteを始めた。それまで10年以上過ごした大企業のアメリカの製薬会社を辞めて、まだ、世に新薬を出したことがない小さな会社に転職した。僕がアメリカの小さな会社でする貴重な体験を記録したいと思ったからだ。願わくば世に新薬を出す成功体験が書ければ超嬉しいと思った。新たに転職した小さな会社は2年前の転職当時、100人ちょっとの社員数だったが、2年間で倍以上の200人以上となった。会社はこれからも成長・発展していくかのようだった。そんな中、先週大きな事件が起こった。

会社を支えていた最も大きなプロジェクトが失敗に終わったのだ。以前の小規模治験の際には、これまで治らなかったがん患者さんを意味のある確率で救うことができる画期的新薬になることが期待された。大きな期待を受けて、プロジェクトは新薬申請に向けての確認試験に移行した。ところが蓋を開けてみると、確認試験では、以前の小規模治験のような良好な結果が再現されず、新薬として世に出すに値しないという結果が突きつけられたのだ。会社がその残念な結果を公開すると、株価は大暴落した。同時に最も大きなプロジェクトを失った会社は、これまでの社員数を抱えている余裕はなくなり、全社員の半分もがレイオフされることになった。僕は残ることになったが、会社は今後大きな立て直しが必要だし、先行きは全く不透明だ。それ以上に、既存の治療がうまく行かず、最後の望みをかけて治験に参加してくれたがん患者さんに対して、そんな薬であったことが申し訳ない。そして、これまで同じ目標に向かって力を合わせてきた仲間のたくさんが突然去ることになったことが本当に寂しい。

分析 これは失敗か?

これは失敗として受け止めなければならない。
僕は2年前、意味のあるインパクトのある新薬を世に出すを大きな目標にかかげて転職した。この大切な目標が少なくともこのプロジェクトでは叶わなくなったのだから、失敗だ。
このプロジェクトの中での自分の活動を通して、自分も成長でき、自分の貢献が会社の成長にもつながることを目標としてきた。会社の成長は幻に終わった。多くの社員がレイオフされるという大きな痛手を被った。だから大きな失敗だ。
先行きも不透明で、残されたプロジェクトが相当な挽回をしない限り、さらに会社の業績は悪くなるかもしれない。VUCAの時代に、先行きの不透明さを明らかに増強させた事態は、失敗と捉えなければならない。

心理 恐れる自分とワクワクする自分

ただ、年を食ってたくさんの失敗を積み重ね、僕の中で、若い頃とは失敗の意味が変わった。受験失敗、海外赴任落選、レイオフ、クビ、離婚。たくさんの失敗を繰り返してみたら、それらが全てその後の自分の次元上昇に繋がっていた。それぞれの失敗の直後は辛くてしんどいが、失敗は、成功体験以上に自分を成長させることを身をもって経験した。失敗に遭遇した時、もちろんそれを恐れる自分がいる。でも、それはどんな人でも持つ、自然なことだ。人間は誰もが生存本能としてビビリの遺伝子を持っているのだ。

ただ、同時に、何かワクワクする自分が確かにいることも感じる。これまでの経験も踏まえると、今回の失敗・試練は、将来の自分にどんな意味をもたらしてくれるのだろう? この失敗の先に、どんな未来が待っているのだろう? 人生を面白くするためには失敗大歓迎なのだ!

良い失敗 悪い失敗

遭遇した失敗を、良い失敗にできるか悪い失敗になってしまうかは、全て自分の責任だ。

悪い失敗とは、失敗に翻弄されてしまうことだ。ただただ、失敗に怯え、自分を見失う。自分らしい行動ができなくなる。失敗を、人や周りのせいにする。失敗を、自分がコントロールできない、人や周りのせいにするから、自分が行動しても何も変わらないと感じて、行動が起こせなくなる。行動しなくなる。

失敗は、自分が絶対に「良い失敗」にすると決めてしまえば、必ず「良い失敗」になると信じている。以前の記事「ビビリの克服」に書いたように、自分だけは、バザールの世界で生きると決める。バザールの世界には、逃げ道がある。失敗しても許される。失敗したら、そこから学んで別の方法で挑戦する、あるいは、別のことに挑戦すればいいだけだ。そうすれば、伽藍の世界の失敗は避けるべきものからバザールの世界の失敗は成長の糧になる歓迎すべきものに変わる。

そして、今回も強く感じたのが、アメリカ人のたくましさ、プロフェッショナルさだ。レイオフが発表されたすぐ翌日に、僕のプロジェクトミーティングが予定されていた。ミーティングはずっと以前から予定されていて、皮肉にもレイオフの翌日になってしまったのだ。そのミーティングには、残る人と、レイオフされて数週間後に会社を去る人が参加する。ミーティングに参加する前、僕はどんな顔をして、どんな言葉をかけて、ミーティングをスタートさせればよいだろうと不安だった。複雑な気持ちだった。でも、実際のミーティングは何も以前と変わらなかった。レイオフされることになった人もいつもと変わらずサイエンスにフォーカスして、ミーティングに貢献してくれた。とても強いプロフェッショナリズムを感じた。彼らもバザールの世界で生きている。その覚悟があると強く感じた。

これから僕は、今回の遭遇した失敗に潜む問題に真剣勝負で向き合う。そして、その中で自分ができることは何かを見つけ出す。それは、自分がワクワクしてやりたいことと一致するはずだ。僕の人生に、また新たなストーリが加わる。


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