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ふたりの恩人との再会

ずっとずっと先延ばしにしてきたことがあった。ようやく今年になって実行することができた。もっともっと早くできたはずなのに。。。

アメリカに渡ってから20年が過ぎた。僕には、アメリカ永住の夢を叶えてくれた2人の恩人がいる。ひとりは、僕をアメリカ挑戦に送り出してくれた恩人、ハーム。もう一人は、僕のアメリカ挑戦を受け入れてくれた恩人、ローズィだ。2024年にその2人の恩人にようやく再会することができた。

ハームとの再会

ハームは、僕にとって初めてのアメリカ人上司だ。20年前、僕は、日本の製薬会社から、アメリカのニュージャージー州にあるアメリカ子会社へ出向した。僕と同じトキシコロジストという職種の現地人はおらず、僕はぽつんとひとりの存在だった。2年後、会社の合併により、ニュージャージーの子会社が閉鎖され、シカゴ郊外にある合併相手のアメリカ支社へ移った。そこにいたのが、同じトキシコロジストのハームだ。アメリカ人2人、日本人2人のたった4人の小さな部署だったが、僕にとっては初めて同じトキシコロジストの同僚がいる部署だった。その4人の部署のボスがハームだった。僕にとって初めてのアメリカ人ボスだ。ハームと僕が一緒に働いたのはたった半年だった。あと1年で日本へ帰国となった僕があわててアメリカに残るために転職したからだ。実際の仕事に関わるハームとの思い出はとても少ない。ただ、転職が決まり、日本に帰国せず、アメリカで挑戦を続けることになったことをハームに伝えた時、自分のことのように喜んでくれたのをよく覚えている。「カツ、よくやった!」 その後、ハームは、僕の歓送会も開いてくれて、僕をアメリカ挑戦へ送り出してくれた。そして、僕を送り出してくれた数年後、ハーム自身は引退し、生まれ故郷に近いマサチューセッツ州の港町ロックポートに移った。一緒に働いたのはたった半年間だったが、毎年クリスマスカードをくれ、いつも「ロックポートへ遊びに来い!」と書いてくれていた。

2022年、僕は転職に伴ってマサチューセッツ州のボストン郊外へ移った。ハームが住むロックポートへは車で1時間ほどで行ける距離だ。行こうと思えば、いつでも行けるところにいた。しかし、会う機会を作らず、ずるずる2年が過ぎた。そして僕は再度転職でカリフォルニア州サンフランシスコ郊外へ移ることになった。サンフランシスコへ移ってしまう前に、会っておこうとあわてて連絡をとり、とうとう再会を果たせた。

1月中旬の土曜日に妻とふたりでロックポートのハームの家まで遊びに行った。ハームも奥さんのアンも、もう80歳を超えていたが、とても元気だった。ハームの家に着くと、ハーム自らが運転して、食事に連れて行ってくれた後、ロックポートの街を案内してくれた。ロックポートはとてもきれいな港町で観光地としても人気がある。仕事を引退してからも、街の防犯委員として活躍しているらしい。車で街を走れば、何人かの知り合いと出会うようだった。頭もとてもしっかりしていたし、活舌も達者で以前と変わらずよくしゃべった。僕の仕事の話もとても興味を示して聞いてくれた。

ローズィとの再会

僕のアメリカ永住の夢を叶えてくれたローズィとの出会いについては以前に書いた。

2~3年間の出向という形でアメリカに来ていた僕を、現地採用し、アメリカ永住という夢を叶えてくれた恩人だ。もう10年以上前に引退し、フロリダ州のセント・オーガスティンという街で奥さんと暮らしている。最近は、クリスマスカードでやり取りするだけになっていた。いつも「フロリダに遊びに来い!」と書いてあった。2年前に西海岸のカリフォルニアからボストンに移り、フロリダまで行きやすくなったはずだ。でも、そのままずるずる2年が過ぎ、また転職で西海岸のサンフランシスコ郊外へ移ることになってしまった。サンフランシスコに移ってからではフロリダにはさらに行きにくくなる。2023年末ののローズィのクリスマスカードには、
Please visit us in Florida soon. I just turned 81 years old. Do not forget life has an expiration date!
「すぐ遊びに来い! もう俺も81歳だ。 人生には締切日があることを忘れるなよ!」と書いてあった。
これはもうすぐに行かないと、後悔することになる。妻とふたりで、急いでフロリダに行くことにした。

ボストンからフロリダ北部の街、ジャクソンビルまで飛行機で飛び、ジャクソンビルから車で1時間足らずでローズィの住むセント・オーガスティンまで行ける。 家に着くと、さっそく、ローズィと奥さんのデヴィが出迎えてくれた。ローズィは足を少し悪くして杖をついていたが、その他はとても元気だった。

製薬会社でトキシコロジストだったローズィは、引退して植物学者になっていた。様々な植物を育てて忙しくしていた。育てている植物ひとつひとつの名前と特徴を紹介してくれたが、とても覚えられない。夜は、ふたりでビールを飲みながら、これまでのこと、今の僕の仕事のこと、ローズィがこれまでトキシコロジストととしてどのような人生を歩んできたか、などを語り合った。80歳を超えたが、まだまだ頭はシャープだ。最近では、物理にも興味が出てきて、たくさんの本を読んでいるし、詩も書いていると言っていた。自宅には、大きなオフィスがあり、まだまだ現役で仕事をしているようだった。

妻と僕はローズィとデヴィの家に泊めてもらい、翌朝はローズィの作ってくれたコーヒーで目を覚ませた後、4人でセント・オーガスティンにあるレストランにブランチに行った。アイスクリーム工場だった建物を作り替えた秘密基地のようなユニークなレストランだった。

うまく伝わったかどうかは分からないが、ローズィに出会えて、僕の人生が変わったこと、その感謝の気持ちを伝えた。

帰り際に、ローズィは、昨夜詩を書いたと言って、僕にくれた。

Two friends who are so dear, You're missed throughout the year.
Always ready to help, so honest and true, Friends like you are distant and few. Time flies by quickly, more so as we age, Our goals are so similar, we're on the same page. Until we next gather, regardless of when, We hope it will happen, forever your friend.

大切な二人の友達、 いつも君を思い出す
いつも助け合い、誠実で正直
君のような友達は遠くて少ない。 歳を重ねるにつれて時間は速く過ぎ去る 目標はとても似ており、同じページにいる。
次に再会するまで、いつであろうとも、 それが実現することを願って、永遠に君の友達である


見失いがちな、大切なこと

2人の恩人に会うことをようやく実行できた。ボストンで過ごした2年間、ふたりに会うことは、やりたいことリストにもずっと入れてきた。それでも、ずっと先延ばしにして、サンフランシスコへ引っ越すことが決まり、切羽詰まるまで行動を起こせなかった。

2年間、仕事でいっぱいいっぱいになっていたのだ。
自己啓発書などで、よく石を瓶に詰める例えが用いられるのを思い出した。瓶には、大きな石から順に先に入れていかないと、全部の入れたい石が入らなくなる。それと同じように最も大切なことから、しっかり計画に入れていかないと、その大切なことはいつまでも実行できなくなる。

2年間の僕の場合、仕事という石だけが巨大すぎて、他の大きな石を入れる余地もなかった。自分の恩人に会うことだって大切なことで、僕にとっては大きな石だ。でも、それ以上に仕事という石が巨大すぎて、いびつすぎて、別の大きな石をいれられず、かろうじて小さな石ころを隙間に入れていたのだ。

ところが、一見、ひとつの巨大な石に見えた仕事の塊は、実はいくつかの大きな石とたくさんの小石がくっついてできただけの簡単に割れて細かくできるものだった。巨大な塊を割り、本当の大きさの石にすれば、仕事の石だけで瓶がいっぱいいっぱいになることはない。大切な恩人に会うという大きな石も瓶に入いるようになる。そんな状態だったのだ。

目の前に迫ってくる緊急のモノは、巨大に見える。一見巨大に見えても、本当に自分にとって大切な巨大な石か、実は割れて小さくできるものではないか? 心に余裕を持つ。 大きな鳥の目で、自分の価値観に照らし合わせて全体像を眺める。そして本当に本当に大切な大きな石を見極める。 なかなか簡単にはできないが、大切にしようと、心に誓った。


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