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瀬戸内海を眺めながらの朝風呂

アメリカにかれこれ20年住んでいる僕は、年に1度日本へ帰国して温泉を満喫するのがとても楽しみだ。今回は、妻の両親に岡山県倉敷にある鷲羽グランドホテル備前屋甲子という旅館に連れて行ってもらった。温泉自体は、内風呂と露天風呂がひとつずつあるだけで派手さはない。でも、温泉につかりながら瀬戸内海を一望できる贅沢さは、何にも勝る一級品だった。

1年に1度しか日本の温泉を味わえない僕は、温泉には超気合を入れて臨む。午後3時過ぎに旅館に着く。その後すぐから夕陽が落ちるまで、温泉と瀬戸内海と夕陽を楽しんだ。

朝風呂も5時の開始とともに、空がまだ真っ暗なうちに入った。暗いうちは、夜空の星と海の上のライトをともした船の行き来を見ながら温泉につかる。6時近くになりようやく東の空が明るくなる。それまで入浴に来る他のお客さんは全くおらず、貸し切り状態だった。

明るくなってようやく一人のおじいさんが露天風呂に入ってこられた。その方は三重県からここまでわざわざ来られたらしい。ふたりで「瀬戸内海を眺めながら温泉につかれるなんて贅沢なことですねぇ」などと最初はたわいもない話をしていた。露天風呂からは瀬戸大橋も見ることができる。瀬戸大橋を眺めながら橋の話題になると、34年前の瀬戸大橋の建設に携わった方だと分かった。もともと日本鋼管にお勤めで、橋梁工事の大手企業が何社も共同で本州から四国までつながるこの大橋を作り上げたそうだ。岡山県人会の役員もされているとお話しされた。「それでは岡山は第二の故郷ですねぇ」と僕が返すと、もともと岡山県で生まれ育って、その後、三重に移ったとのことだった。
「今回もお仕事のついででこちらへ来られたのですか?」と聞くと、少々苦笑いしながら、「葬式できたんですよ。この年になるとねぇ」と返された。まずいことを聞いてしまったかなと、反省しながら、僕は「すいません。それは大変でしたね」と言った。「実は岡山県人会のひとりでね。先週の金曜日に会ったのが最後となってしまったんです。」
「あっ、それはとても急だったんですね。ご親友だったのですか?」
おじいさんは、寂しそうにうなずいた。
「でも最後にお会いできてよかったんじゃないですか?」と聞くと、
おじいさんはさらに寂しそうに話してくれた。
「先週の金曜日、岡山県人会の4人で飲んだんです。いつもはもっとたくさん集まるけど、その日は都合のよかった4人だけで。。。 
飲んで分かれたのが9時2分。いつものようにじゃあまた!という感じで別れて。。。
その後すぐ、9時10分。車にひかれて亡くなったんです。」
僕は返す言葉が無くなってしまった。そんなことがあるんだ、とビックリするばかりだった。

その後、話題を変えて少し話した後、そのおじいさんは先に上がられた。でも、僕は親友を無くされた話が衝撃的過ぎてしばらく再び温泉につかってぼーっとなっていた。

先週、親友たちとお酒と懐かしいお話を楽しんだ岡山に、今度はその親友のお葬式のために訪れられた。しかも、楽しかったいつもの飲み会で再会を約束して別れた直後にその親友の方は車に引かれて亡くなられた。
何とも厳しい試練を神様は与えるだなぁと僕は思った。
この人はどんな思いでこの温泉に泊まることにしたんだろう。聞かなかったが、亡くなった親友の方も瀬戸大橋の建設に関わったのだろうか? 少なくとも岡山での親友との思い出のために、瀬戸内海を一望できるこの温泉に泊まることにしたんだろうなぁ。
人生はあっけないものだ。残された人生を大切に生きよう。大切な人との時間を大切に過ごそう。と思った。


#わたしの旅行記

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