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教員が生徒に与えられる影響って

仕事ばかりで良くないなーと思いつつ、つい仕事のことを考えてしまう。

最近思っているテーマは「自分は生徒にどんな影響を与えられるか」ということ。

子どもたちは、卒業してしまえばきっとバレーのサーブの打ち方なぞ覚えていない。というか必要なくなる人が圧倒的に多い。
眠かった授業の内容なぞ覚えていない。

正直与えられる影響なんてたかが知れている。

それでも、生徒が生きていく上で影響を与えられることはなんだろうかと考えたときに、思い浮かぶのは次の3つだ。


①何かをしてもらった経験


よく、色々叱られたことを「その時はうざいと思っていたけれど、今になってはありがたかったと思っています」というエピソードを聞く。

自分のために一生懸命何かしてくれた。
自分のことをただ思ってくれていた。

そういう、人に大事にしてもらった感覚はきっと心の奥底にずっと残って、将来のその子自身の対人関係のあり方に影響をもたらすはずだ。

自分自身という存在を認めてもらえた経験、受け入れてもらえた経験はとても貴重で重要なもの。

なかなかわかってくれないかもしれないし、なんなら自分の生徒として関わっている間にはそういう感情すら抱かないかもしれないが、何かをしてもらった、大事にしてもらった事実は経験として持たせてあげたい。

②エピソードトーク


授業においても、雑談においても、「教科書通りの展開」はつまらない。
感情は動かないし、ひいてはその時間は記憶に全く残らない「無の時間」と化してしまう。

個人的には、感情が動かなかった時間は「なかったもの」として考えても差し支えない、とすら思っている。

もちろん、教科書的な知識はとても大事だ。

それをいかにうまく、生徒の感情が動くように伝えるか。

特に保健においては実体験や生徒自身の実生活に関わることを大事にしたい。
飲酒に関する授業ではアルパッチテストと、お酒で失敗した体験談をする。

とても難しい部分であり、とっても面白いところ。


③マインド


もっと言うなら「物事に対するとらえかた」

ぶっちゃけこれが書きたいがためにこのnoteを書いたようなところはある。

無論とらえ方に正解はないし特定の思想を広めると言う意味では、、と言う部分もあるかとは思うが、正直「その思考回路だと人生損しそうだよ」という生徒は多い。

特に多いのは、
「自分にはできない。なぜなら過去の自分がそうだったから」
「なんか嫌われている気がする。だからもう絶対に話さない」

と言う思考態度。事実と解釈がネガティブでぐっちゃぐちゃ。もったいない。

今までダメだったのはこれからもダメである理由になるの?
で、これからどうしたいの?

これをそのまま伝えるとちょっとウザがられてしまうのでどう伝えていくか。

最近はずっと「影響の輪」と「関心の輪」の話をしている。

「受験どうしよう〜」となっている生徒に、

「確かにー。不安だよねー。。あっ、それ、関心の輪!考えることじゃない!面接練習するよ!影響の輪!」みたいな。

徐々に「またそれ〜?」みたいな反応になってくる。

「これから何ができるか」ということにフォーカスする視点が少しだけついたということか?しめしめ。みたいな。

おわりに

教員をやっていてやりがいを感じる言葉の1つ「先生のおかげで〇〇できました!」と言われること。

自分の頑張りがある意味実ったようで嬉しくもあるが、一方で危うさもあるよ、とどこかの本に書いてあった。この本だったか。

なぜなら、その言葉は裏を返せば「先生がいなかったら私は〇〇できなかった」と言う自己否定を与えてしまうからだ。


一番大事なのは「人生を前向きに生きていくための思考態度」

そのために、承認や受容が大事。

大事だから、とか「認めることが大事だから、認めてあげる」という態度ではなく、心からその生徒を見て良い部分を見つけ認める(気づかせる)こと。

「先生のおかげで」は嬉しい言葉ではあるが、それに気持ち良くなっていてはいけない。
生徒が勝手に「自分にはできるんだ」「自分も周りも大切にしよう」「ベストを尽くそう」というポジティブな成長感を味わいながら生きていくこと。


結果「あの時の先生、めっちゃ楽しそうだったな、自分もあんなふうになりたいな。先生になりたいな」と思ってくれたらほんとうに嬉しい。


勢いあまってながくなってしまったので今日はこの辺で。



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