見出し画像

疲れている状況でのとらえかた(教員)


2月も下旬。


3年生の担任の自分にとっては生徒が自由登校期間で久しぶりにゆっくりできる時間が増える、、はずだった。

蓋を開けてみれば、いつも通りやらなければならないことで溢れている。

その中には、業務上「本当にやらなければならないこと」もあるが「自分で作り出した仕事」がとっても多い。


例えばそれは、義務ではないけれど仕事の相手(生徒や教員)が喜んでくれそうなことだ。


卒業も間近だからそりゃあ色々ある。(笑)



そんな義務でない事柄に対して”仕事”として時間を使っているのだから、「充実している」と言っていいはずなのだが、なんとなく焦燥感とモヤモヤ、つまりネガティブな環境を抱えている。


「原因は?」

「で、どうしたいの?」

「そのためにどんな行動をする?」

ポジティブ言葉の3種の神器を自分に向かって問いかけてみても、心の中の自分は「わからない」と答える。

いや、わからないというより「自分がこんな意識を持っている」というのが嫌でわざと答えないのかもしれない。

「なんで永遠に約束破るやつのためにここまでせなあかんねん」
「俺はなぜこいつらのために頑張っているんだ?」
「これは本当に本当に今やらんとあかんことか?(もっと自分にとって重要なことがあるんじゃないか)」

例えばこんなところだ。
(怒りの感情があると自分は関西弁になるらしい。えせだけど)

そんなときどうするか。

「人の成長を作る」という、自分がこの仕事をしている目的だけを考えるのもひとつ。

でも、教員だからといってその感情を"認めない"のはよくないのかなとも思う。
その感情をウワッと周囲に撒き散らすのはダメだけど、「ある」こと自体は認めてあげることも大事なのかなと。
特に人と人との関わり合いの部分については。



「どんなことに時間を使っていても、何を感じていても、いつかは終わりがくる」
「いつかわかってくれる日が来る、、かもしれない」
「自分が今コントロールできることをコントロールするしかない」

この辺の言葉を頭に置いておいて、あとはよく寝ようと思う。


まぁこんなこと言っていても結局最後には「色々あったけど、最高だった」と心から思っているはず。これは本当に。

「色々あったけど」の"いろいろ"がそんときは本当に本当にほんっとううに大変なだけで。笑


この仕事はハードだけど、やった分だけいい思いができる瞬間も、たくさんあるから。
たまに抱くネガティブな考えもここに書き落として、必要としてくれる場があることに感謝してまた明日も頑張ります。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?