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3/7タイ チェンマイ その一瞬を撮れ

チェンマイの旧市街を歩き、ふと振り返ると郷愁の想いに駆られた。
日本らしい街並みと遠くに見える山。暑さ真っ盛りの午後3時。
カメラを持っていなかったので、雀色時にその場所へと戻ってきて写真を撮ろうと振り返った場所に立った時、感じたのは失望だった。
酷暑の中でも厳かだったあの山は今、懐かしい街並みと共に暗闇に包み込まれようとしている。
あれだけ心を打った風景であったのに写真を撮る気にもなれなかった。

美しいと思ったその瞬間が一番輝いて見える。


3/3

明日、クアラルンプール空港からチェンマイへと飛ぶため今日は空港近くの宿を取った。そこのスタッフは日本好きの優しい人間で、オープンスペースにいたときに
「日本の映画が恋しいだろ?ほらここ座って。見て。」
そう言ってネットフリックスで無限の住人を流し始めた。

全く興味のない映画だったが親切を無下にするのも気が引けたので最後まで(二時間半)観続けた。ちなみに彼は途中でどこかへと消えた。

今日は二度、別のレストランで食事を取ったが両方ともあまり美味しくなかった。特にインド料理屋のナシゴレンはこの旅で一番ひどい代物だった。


3/4

朝、準備をしているとスタッフの彼が最寄り駅まで車で送ってくれるという。
降りる際に、レビューをお願いされたが今のところ面倒くさいので書いていない。

飛行機でタイの入国カードを書き終わり村上春樹を読んでいると窓側の席のおじいさんから、目が悪くて書けないから代わりに記入してくれと頼まれた。
俺とそのおじいさんの間のおばさん(彼女は日本とマレーシアのハーフだった)がおじいさんに情報を聞き、記入した。
彼らもまた、日本に良い印象を持っていた。

チェンマイへ到着し宿にチェックイン。
飯を食いに外へ出てまず一服しているときに隣にいたイタリア人と話をしていると、
「日本の政府は忍者養成のために選ばれた国民に800万円?を付与しているって本当?」
と聞かれた。そういう印象もあるのだ。


3/5

予防接種を受ける。このために飽きながらもタイ、マレーシアに滞在していた。これが終われば自由の身だ。
国立の病院のほうが安いようでそちらへ向かう。

地元民のみに見える人間達でいっぱいの待合室で30分ほどして名前を呼ばれる。
A型とB型肝炎の混合した薬はここには無いようで、私立のラム病院にはあるはずだと看護師達は教えてくれた。
車持ってるか?ないなら乗り合いタクシーが近くにいるはずだと。
マップで検索してみると歩いて15分なので歩くというと少し呆れられた。

国立病院より綺麗な私立病院で美人女医の問診と接種を終えて旧市街を少し歩き回り宿へと帰った。

夜、喫煙所で日本人と会った。一つ上の彼と話が合って気取らず衒わず朝の5時頃まで文字通り語り明かした。


3/6

ドミトリーではやはり誰かの生活音で目が覚めるもので、10時頃に起床せざるを得なかった。
体がとても疲弊していたので一日中部屋に籠っていた。

夕食を日本人の彼と一緒に取ってまた1時頃まで話をして眠りについた。


3/7

朝8時のバスターミナル、周りの人が一斉に起立したので慌てて立ち上がる。国歌が流れた。

一度の昼食休憩を取ってバスは約7時間走り、ミャンマーとの国境の町メーソートへと到着した。
宿の付近にあまり外国人を見ることはなく田舎の雰囲気が心地いい。屋外に設置されたネットを挟んで若者達がセパタクローをしていた。

落ち着いた田舎はしかし便利さはない。
観光地も田舎も一長一短である。


二か国語書かれた町の看板が
頬の筋肉微かに揺らす

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