3/12ミャンマー バガン 20年後の彼女は
誰もいないし、バレやしないよ。
柵を乗り越えパゴダに登って上から見た景色は、多少の罪悪感も相まってかとても美しく見えた。
3/11
宿に迎えに来たピックアップトラックの荷台に乗って、マンダレーの街を走る。
バスターミナルで綺麗とは言えないバスに乗り換え5時間ほどかけてバガンへと到着した。マンダレーへ来た時のバスは16時間だったがVIPバスで足元も広いしシートも柔らかかったが今回は違う。足元は狭いしリクライニングのレバーが壊れていて厳しい姿勢での5時間だった。
まだ我慢出来たが、出来るだけ良いバスに乗る事を決めるきっかけになった。
バガンのターミナルから宿へ移動してる間に、バンコクの宿で一緒になっていたトルコ人のホセからインスタグラムで連絡が来た。
彼も今バガンにいて、明日出るつもりらしいから着いたら一緒に夕日を見に行こうということであった。
宿に彼がレンタルバイクでやってきた。約一か月ぶりの再会に熱い抱擁を交わす。
彼はヒッチハイクで移動したり旅の間にお金を稼いでみたりで、さながら冒険家のようだ。その生き抜く力が羨ましくも思える。
彼と夕日が綺麗なパゴダに到着すると、多くの観光客が既に上へと登って陽が落ちるのを待ち構えていた。立派なカメラを準備している者、恋人と手を握っている者、仲間と自撮りをしている者、様々である。
ご丁寧に階段など用意されていないので足をかける箇所を探してクライミングの要領で登る。上にいる観光客に手を貸してもらいながら登りきる。
登り切って適当な場所を探していると、地元民?から
「靴、脱がなきゃいけないよ。」
と教えてもらった。いや、靴脱げば登っていいってもんでもないだろ。
2000ものバゴダが点在しているバガン。
名も知らぬパゴダの横顔を寂しそうに照らす太陽は、我々に別れを告げて西の果てへ姿を消した。
3/12
昨日別れを告げた太陽がまた顔を出す時を、パゴダの上で見よう。
朝5時に宿の目の前のeBikeレンタル店で借りてそこのスタッフにオススメされた場所へ向かう。
最高速度は30km/hしか出ないが道が未舗装の場所が大半なので充分だ。
パゴダクライミングのコツを掴んでいたので一人で登り切り、10時間ほどぶりの太陽との再会を果たした。
ホセも今日ここを出るのを辞めて明日出発に切り替えたらしい。
せっかくなので一日ふたりで各所を周ることにした。
柵に覆われたパゴダを見つけ、我々は上から写真を撮ろうという話になった。一人だったら絶対にしないような事だ。
罪悪感と開放感が化粧をしたのか、晴れ渡ってどこまででも見えそうなこの景色はバガンで一番美しく見えた。
彼はバガンへの入域料も払っていないようだった。その代わりに店では多めに支払うし、あるお年寄りにも少し施したと。そのほうが地元の人達に直接お金が落ちていいはずだと。
こういう考え方もなかなか出会えるものではない。
あるパゴダの近くの個人商店で休憩を取った。子供が5人ほど遊んでいて、我々を見るなり恥ずかしがって席を譲って少し遠くへ行ってしまった。
コーラを飲みながら我々が話している間、輪ゴムを地面に置いて息を吹きかけ遠くへ飛ばして遊んでいた。
ホセが彼らの写真を撮ろうとカメラを持って近くによると蜘蛛の子を散らしたかのように去ってしまった。
「悲しいよ、ただ写真を撮りたかっただけなのに。」
「ミャンマー人は特に恥ずかしがり屋な気がする。」
「彼女は村を出て行ってしまった。」
「あはは。そして20年後に帰ってくるんでしょ。」
「そう。彼はもう行ってしまったの?ってね。」
丸一日、我々は数々のパゴダを見て回った。正直途中からは、どれを見ても変わり映えしないし飽きていたが彼も同じだったようで早めに解散することになった。
「今日は夕日見るの?」
「まさか。このまま帰って寝るよ。」
「だよね。じゃあ俺はこっちだから。気を付けて。」
「ありがとう。良い旅を。」
帰り際に我々はミャンマー風にクラクションを鳴らして背中を向けあって帰った。彼はこの後またタイへ戻ってラオス・ベトナムと東へ。俺はインド・ネパールと西へ。
次に会うのはトルコもしくは日本だろうか。元気で、ホセ。
笑う顔右の口角上がるたび
夢がそこからあふれるような
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