ディテイルを最初に掴む
優れた作り手や、アーティストとして活躍している友人と話を交わしていると、ずいぶん細かい部分の話を突然はじめる。
ということが度々あり、これはなんだろう?と思っていた。
家を建てたいと言えば、「窓からは緑が見えるはず」と応答してきたり、お店をしてみよう!と言えば、「夕方くらいからあくのが良い」とか言う。
いきなりすごい具体的なことを決定しているのだ。(決めているというより湧いてきているように見える)
物事の決定の順序でわかりやすいものは、大枠から決めることだと思う。
家を建てたいなら、じゃあ場所は?とか、何歳ぐらいに?とかね。大きな丸を先に書いて、それが決まったらもう一段具体化していく。そうして、どんどんディテイルまでいくわけ。
いきなりディテイルから入るというのは合理性にかける意思決定プロセスなのだ。(私からすれば)
しかし最近わかったことがある。
ディテイルから入れば、創造ができる。
大枠から順番に決めれることを枠の中に納めるように順序よく、混沌なく。丸の中に丸を書いていくような意思決定は実行可能確実性は高まるが。途中でグルーヴがなくなりがちだと思う。つまり途中からやるべきことになっていくというか。タスクと呼ばれるそれになっていくというか。
書いていて思ったが、この手の発想は、目標が定まったら、目標から逆算して今することを決めなさい。という直線的な思考の枠組みの教えからきていると思う。(たまにこの手のマネージメントを多用するマネージャーや管理職がいるけれど私は嫌いだ。)
瞬発的なきらめきを持つ創造はディテイルをとっかかりにして、見えない山を登るみたいな感覚で、または次第に明らかになっていくパズルを埋めていく感覚で進んでゆくのだと思う。
多くの場合これは身体性を伴う。例えば、手を動かしながら考える。みたいな。
考えてみれば、生命は内側から花開く。外側から成長するというより、内側が膨らむので結果的に大きくなっている。
ガワから何かを作り出そうとするのは安定的ではあるけれど、限定的だ。それ以上にはならない線(限界線)を一番最初に引いてしまう感じがある。
ふと掴んだディテイルやとある感覚の切れ端から始める創造は、思いが中心でどこまで膨らむのかわからない面白さがある。
彼らが楽しんでいるのはこの膨らみなのでは?と思ったので、ふとnoteに記録しておく。
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