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春の短編。

ある日、僕はこの世界にあるすべての寂しさを集める旅に出る。

山を渡り
鯨と泳ぎ、
赤い大地を歩き
見たことのない数の星がまたたく夜空をながめる。

この世界をくまなく歩き回って
(ある時は車やバスにも乗ったけれど)
とてもとても長い時間をかけて
この世界にあるぜんぶの寂しさを集めた。

旅が終わる頃
僕はずいぶん歳をとっていた。
それは長い旅になったから。

家に戻ってきて
集めた寂しさを
大きなガラス瓶に詰める。

押し込める作業に1ヶ月がかかって
ようやくすべての寂しさを瓶に詰めて、蓋をした。
もう二度と世界に散らばることがないようにぴったりと。

ふと、脇をみると寂しさが一欠片落ちている。

僕はもう一度、瓶の蓋を開けて
その最後の欠片を詰めこむことを考える。

でも、結局、僕はその欠片をしばらく持っておくことにした。

「と、こういう話なんだ。

君はこの話が何を言おうとしているかわかるかい?」

男は、向かいの席に座っている女に訊ねた。

「いや、はっきりとは」

「では個人的な感想でいい。
君が思ったことを聞かせてくれないか」

「そうね
私が思ったことは、、、
というか私は基本的に教訓めいた"おはなし"みたいなものは嫌いなの。こちらがまだ答えてもいないのに正解を述べられているような気持ちになるんだもの。あんなものは偽物と欺瞞の寄せ集めだと思うわ。」

男は口を横に結んだ。

「物語の感想は?」

「そうね
納得はした。」

「納得はした。」

「そう。私でも残りの寂しさを瓶に詰め直すことはないだろうという気がする。
全てを集めて、しまい込んで
それでもなぜかあぶれたその欠片は
もう自分の一部なんじゃないかしら
私ならそう思うけど。」

男は手元にあるコーヒーカップを持ち直して、もう冷めてしまった黒い液体をゆらしながら、窓の外に目をやる。

店内のBGMがBill EvansのWaltz For Debbyに切り替わる。
窓外の春の陽光が気持ちよさそうだった。


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