かつまた日記03

平塚での生活のことを書いてみる。

「働く場は主に都内」と言うと、
「え?平塚から遠くない?」と言われる。

「うん。遠い。」

そうするとだいたいにおいて
「遠いのになんでわざわざ平塚に住んでいるの?」
つまり、
その通勤時間(往復で3時間~4時間)の代償を払って
あなたはなにを得ているんだい?という趣旨の質問をいただく。

平塚に住むことに決めた理由は多義的で。

ひとつは単純に、友人らが住んでいること。

僕は神奈川の平塚に来る前は
徳島県の神山町という山間の田舎町に4か月間滞在しておりました。
そこでの暮らしはずいぶんと僕に(平塚に住むという決定に)、影響していると思う。

端的に言えば
僕はそこで(神山町で)、”人と一緒に生きることのおもしろさ”を、経験したということで。

東京という街で一人暮らしをしているのはある意味で自由。
気軽に買い物もできるし、通勤時間もさほどない。移動コスト(時間的にも費用的にも)があまりないので、
都内で気になる展示やお店があれば、さらりと行ける。
何を食うも、外に出るも出ないも自由。
誰かといてもいなくても自由。
個人的に決めれることの数は多い。
東京という街は個人の巨大集積であるとも言える。

「どこどこに住んでいる。」というそのどこどこは極端なことを言えば
とある駅付近のマンションやアパートの一室。という意味であることも多い。

究極、部屋に住んでいるというか。
孤独と自由のセットという感じでしょうか。

他方、
ローカルなコミュニティの中で生きるのはそこまで自由でもない。
他者がいて、その他者にも都合やスケジュールが多分にあり、それらと折り合うことになるので。
町を歩けば知り合いにも合うし、自分の身となりもなんとなく周知されてしまう。
「あそこにだれだれが引っ越してきて、こういう人のようだよ」って。
ある程度、個人を特定されてしまうくらいにはパイが少ない。

ゆえにしがらみも増えるし、個人的に自由に決めれる事柄の数は減るんじゃないかな。
全てにわがままにもなれないというか。

誰かと一緒に生きようと思えば、日々生きるということはけっこうな仕事になると思うんです。
誰かの人生も入ってくるわけなので。

自分の意思決定のみがいつも尊重されるわけでもないし、
自分の都合を折ることも必要になる。

それでも。
人と共有できるっておもしろい。と感じているのが僕の今です。

神山町で、日々、生きるだけでも大仕事だったんですよね。
誰が車を出すのかとか、
今日の食事はどうするのかとか、
迎えは誰がいくんだとか。

特別なことはないんだけど、食って寝て学んで遊んで。それですっごい日々が充填されてた。
それって割に健全だったなって思うわけです。

ふたつめは
いくつかの場で生きることで視点の固定を減らすということ。

人は、とある環境の中で強めの思想や、趣向に影響を受け、その環境の中で自分を規定するところがあると思う。
ひとつの環境しか持っていない場合、その世界(外部)が内面化してくる。
こうなってくると、なかなか他の世界もあるのだということに気がいかなくなってくる。
悪いケースでは、それが自分の首を絞めることになる。
(例えば日本から出たことがない人は、日本の社会システムか内面化されていたりする。)

自分がいくつかの環境を行き来していれば、固定的な状況を多少なりとも緩和して、
選択権を自分のもとにおいて置けるかもしれない。

平塚のコミュニティと、仕事の仲間。
少なくともこの2つの場を行き来しながら日々を構築することで、
片方の常識に縛られない自分を作るってことです。

これは現段階においてうまくいっているのかと問われれば、よくわからない。。
うまくいってないわけでもなさそうだけど、まぁお試し中ってところです。

みっつめ。
東京でいくつか内見した物件にまるでピンとこなかった。
窓を開ければ住宅が広がり、所狭しと家々がひしめき合う景観。
数年前までは受け入れることができていたはずなのだけど、
名古屋郊外での暮らしと、ド田舎での暮らしを経由して東京に戻ってきたら
もうなんだか魅力が褪せていた。
18歳のころに見ていた花の都大東京ではないわけですよそこはもう。

一方、
平塚で見た家は、少なくとも発展的なイメージを持つことができた。
それは町に漂うエネルギー的なことも含めて。
窓を開けると入ってくる海風、駅から浜辺までまっすぐに伸びる道、友人の家の灯り、
好みの飲食店。そして海。ひろい空。
DIY自由の元事務所だった部屋。手入れはされていなかったけれど、
自分で手を入れたいと思えた。

ま、ダメだったり合わなかったりしたら引っ越せばいいわけだし。
まずは、自分の心が動くほうにいってみたほうがいいんじゃない?ということで
私は平塚に家を借りてみた。

眠りも、食事も、遊びも、仕事も、
生活を構成する様々な部分が満たされるほうがいい。
すべて含めて暮らしなわけなので。

さてここまでが私の個人的な平塚住まいの理由。
(書き起こしてみるとそれなりに理由はあるわけだ。)
を、こまごまと書いたけれど、長くなったのでここまで。
またもう少し暮らしの様子がわかるようなことを次は記す。(つもり)

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えっと、あの、なんていうかその、読んでくれてありがとうございます。

わっしょい
9

かつまた日記2019

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