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like a letter #1

近況報告がわりに
たまに手紙を書くように。



ちょこちょこ
壁打ちの
壁になっている

よくわからない流れで
謎に壁に任命されている。

普通に意見も言ったりしているので
壁というより
お茶

雑談
に近いのかもしれない

相談事でもなんでも
トピックを言い訳に
相手の様子がわかるのは嬉しいことです。


なんだか忙しない。
心を失くすと書いて…
なんて
いうけれど
忙しないと本当に
頭が混乱してくる
おそらくいろんなことを一気に立ち上げようとし過ぎている。
少し疲れたので
休み休みいきます。
考えたら
いくらでも考えれてしまう問いが多くて困ります。
もちろん締め切りというexitはあるんだけれど。


世の中はおかしい。
世の中というか
人間社会か。
今日も毎日人が人を殺していて
なんだか
知れば知るだけ
なんだかなぁとなる
日本という場所も
なんだかなぁだし
世界だって
なんだかなぁ
なのである。
悲観してもしようがない
けれど
ひとまず悲観する。
それから自分なりに考える。
考えて、行動をする。


この道の先に
明るい何かがある
そういう道の上にいたい。


人と人が話せる場所を
ちいさくてもよいので
作っていきたいな

思います
はなす、きく

できる場所。


品のある自虐
という文章を見た。
品のある、、自虐。


朝クラシックを流すことにハマっている
あぁついにぼくも
一周回ってクラシックにたどり着く大人感
そんな時期か
と思ったのだけど
よく考えたら
これまでの人生で一度もクラシックにちゃんと触れてないので
一周もまわってないクラシックだった
クラシック初対面ぐらいの勢いで
初手だった
ごめん


円安はすすみ
戦争は続き
政治は混沌だし
環境問題やエネルギー問題に
貧困
僕らの世界は狂ってる
ますます厳しい世界の中で
我々の拠り所や源泉になるのは
人とのつながりや関係性なんじゃないだろうか
共に生きる時代が
ゆっくり射程にインしてきてる
ソロでは
防衛的にならざるを得ない時代だなと思う。
自分はどう生き残れるんだろう
ということばかり考えるのはしんどい
終わりがないから。

それよりは
まぁどうにかなっても友人に頼ってみよう
おれがだめでもあいつは大丈夫かもしれないし。
リスク軽減のために友人がいるわけではない
けれど、よりかかったり
よりかかられることを許しながら
暮らそうよ
とは思う


バス停で小さな女の子が
やってきたバスに向かって
手を挙げている
バス停では待っていればバスは止まる。
けれど
女の子の挙手は凛としていたので
素晴らしい。


自分という偏りを尊重しながら
どうだったら世界と関係を結べるのか
ということ。
今更そんなことを学んでいる。

社会に適応するというのは
自分を消していくことだ。
という重力から出て
自分を尊重しながら
世界や他者と関係のつくっていくにはどうしたらいいか模索する。
というのが本当の就活。という気がする。
(別にどこかに就かなくてもいいんだけれど)

社会の要請に合わせて
自分という存在を覆うこと
それが社会適合なのではなくて
自分の妙な部分や変な部分、もちろん得意も含めて
まずはそれを尊重して大事にすることを決めて
その上で
どういう風だったらその子(自分)がこの世界に居れるのか
そういうことに頭と知恵を使ってあげたい。

この世界とどんな関係を結ぶのか。
直接でなくてもいいし蛇行してもいい。
曲線でもいいし、どこかを経由してもいい。

それでもどうにか"ここ"と関係性を創り上げていくことに
一苦労かけるのは
価値のあるトライだなと思う。


いい季節ですね。
平塚にはいい風がふいています。
海はね天然のクーラー。

また書きます。

お読みいただきありがとうございます!