最終日

「とりあえず2月、1カ月間毎日書いてみよう」

そういう提案でスタートしたnoteだけれども、本日最終日となっております。2月の上旬(ウィザード中の後半)だけ4日間ほどお休みしてしまったのだけど(実際にウィザード始まったら、時差問題と自分が内観に集中したくて書けなかった)それ以外は基本的に毎日書きました。
死ぬほどくだらないことがほとんど(というかそればかり)だけどね。

毎日書いていると、いろんなことがあるもんです。
なんとなく文体が変わったり、まとまりが悪い日もあれば、良い日もある。
何かが書けた気がする日もあれば、文字ばかりは並んでいるけれど何も書けてない日もある。

高校の頃、サッカー部だったわけですが、コーチに言われたことがあります。「コンディションというのは日々違うのだから、その日の自分のコンディションに合わせてプレイスタイルを変えることも大事だ」つまり、サッカー毎日やってて毎日すごく高い水準で動ければいいわけですが、人間そんなわけにもいかんのです。体調が良い日、悪い日、気持ちが良い日、悪い日、足の痛い日、腰の痛い日、疲れている日、元気な日。いろんな時があるんです。バイオリズム同様こういったものを横這いの直線で高水準に保てないか?というアプローチが僕はあまり好きではありません。人は変化し続けるからです。良い日も悪い日も認めてあげて、その中で活かすということを考える。良い悪いは相対性の中でこちらが勝手に付与していることなので、どういう状態であってもその時のスタイルを生めるのであれば、それは良い悪いではなく、そのときどきの、つまり多様さが増したということになります。ハイテンションもローテンションも同じように楽しめる。そういうこころの有り様が素敵だなぁと思います。日々を愛しているというのは、様々な変化をありがたく経験するということなのかもしれません。


日々のくだらない思考や物思いをこうやって雑記していることは、およそほとんどの人になんにも与えていないであろう所業でしょう。それでもたまーに暇な時に、何かの折に、あまり意味も深い知恵もない、他者の考えや景色に触れたいときがぼくはあるんですね。
日々の雑考のようなまだ形にもならない思索を道半ばで開示することはあまり褒められたことではないかもしれませんが、誰かの箸休めや暇つぶし、思考の起点となれば嬉しいな。


とまぁ僕の話をしてしまったけれど、このnoteの本旨はあくまで友人の延原雅代氏(理学療法士兼パーソナルトレーナー)のサポートでございました。
一緒に書きながら、日々彼女が学び進めている様子を見るのもまた楽しく(いや、僕はそんな評価できる立場でもないのだけどね)、やはり誰かと学びや目標を共にするのは面白いものだなと再認識致しました。
これはよく思うことでもありますが、サポートをするだけ、というのは実は有り得ないです。支えや援助をしながら、している当人も多大に受け取っているのが常です。なので別に単純な自己犠牲を払ったつもりもさらさらありませんし、特にわかりやすい実績がある訳でもない僕を信頼し、関わらせてもらっていることに感謝しております。いとありがたし。

と、いうことで、ここでnoteの連投も終えようか。などと思っていたのですが、友人がまだ続けたいと言うし、さらにもう一名、「私も毎日書きたいです」という、そして結構ガチな方が現れてしまった為に実はやめません。さてまた明日からも楽しむぞ。以上。

お読みいただきありがとうございます!