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すぎやまこういち先生

『作曲家のすぎやまこういち氏が逝去』
ニュースアプリの通知を見て驚きと悲しみが湧き上がりました。
去る9月30日の事で、御年90歳だったそうです。

数々の歌謡曲、競馬のファンファーレ、そしてやはりドラゴンクエストの音楽。その功績は私が語るまでもないですし、すぎやまさんの名を知らずとも彼の作った楽曲を一度も聴いたことがないという日本人は居ないのではないでしょうか。

かつてそのすぎやま先生にお会いした事があります。
あえて先生と呼ばせて頂くのは、作曲家の方を玄人ぶってそう呼ぶわけではなく、ほんの一時まがりなりにも講師と生徒の関係だったからです。
先に言っておきますが、私は音楽の道でプロを志した事はなく、音楽を学ぶ学校にいたわけでもありません。

もう20数年も前の話です。
私はコンピューターゲームの世界で働こうと考えて、業界向けの専門学校に通っていました。
『デジタルエンタテインメントアカデミー』という学校で、前身が『エニックスゲームスクール』と言うと、なるほどと思う方もいるでしょう。
私はそこでゲームを作る為の基礎を学んでいました。プログラミングの技術が主で、あとは企画の立て方やゲームグラフィックやゲーム音楽制作の基礎なんかも受講していました。

そんなある日、すぎやま先生が特別講師でいらっしゃって、希望者は作曲した楽曲を論評してもらえる機会があるというお知らせがありました。
音楽専門の学科があるわけではなかったのですが、エニックスと関連のある学校ですし、昔はゲーム音楽制作科のような物があったと聞いていたので、その名残のような形で講義があったのですね。

私は高校生の頃にDTM(デスクトップミュージック)にハマっていた事があるのですが、楽譜もまともに読めず、楽器も弾けず、音楽理論ナニソレ?という状態でして…(DTMはそういう人でも楽しめるという事でもありますが)。
それでも自分達が学校の課題で制作するゲームのBGMを何となく作ったりしていたので、もう全くのノリでいわば記念受験でもするかのように楽曲を提出したのでした。
「あのドラクエのすぎやまこういちに会える」という一心で。

今考えると怖いもの知らずもいいところ。音楽の道でプロになった・目指している方が読んだら怒り出してしまうかもしれませんね。
とにかくまぁその頃はそこまで深く考える事もなくノリで生きていました。

制作する楽曲にはお題があり、格闘ゲームのバトル時のBGMを決められた小節数で作るというもので、時間にしても数十秒。
データも残っていないので最早どんな曲を作ったのかも覚えていませんが、「こういったコード進行だと中国っぽい曲になるんだよね」というコメントを頂いた事を覚えているので、おそらく中国人キャラが出てくる既存ゲームを模倣したナニカを作ったんだと思います。

その当時でもさすがに自分がど素人である事は自覚していたので酷評は当然として、もしかしたら怒られるんじゃねえかと内心ドキドキしていたのも覚えています。
実際は全然そんな事はなく、自分を含め提出した各人に対して、楽曲の良し悪しに関わらず柔和な態度で丁寧に論評されていました。本物は違いました。
お会いしたのはこのただ一度だけです。

その後すぐにDTMも飽きてしまい楽曲制作なんて全くする事もなくなり、この事もドラクエの新作が出るたびに思い出したり出さなかったりしてるうちにすっかり忘れていたのですが、すぎやま先生ご逝去の報を聞いて久しぶりに思い出したのでした。

ご覧の通り本当の意味で『先生』などと呼んでいい立場ではないですし、素晴らしい思い出というよりはどうにも身の程知らずな若い自分を思い出してこっ恥ずかしい限りなのですが、これからも先生の楽曲は聴き続けますし、たまにはこの事も思い出したいと思います。
すぎやまこういち先生、心躍る音楽の数々をありがとうございました。安らかにお眠りください。

余談ですが、私はその後コンピューターゲームを作る道には進みませんでした。その話もまたいつか。

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