クニトコタチ_見出し用_

ホツマツタヱに記される日本建国の祖クニトコタチとは?

神としての国之常立神(国常立尊)、人としてのクニトコタチ

この記事でご紹介するのはクニトコタチについてです。

ホツマツタヱでは人として、日本最初の指導者(アマカミ)として記されています。

古事記では神世七世の最初の神として〈表記:国之常立神(くにのとこたちのかみ)〉、日本書紀では天地開闢で最初に現れた神として登場します〈表記:国常立尊(くにのとこたちのみこと)〉が、名前以外に詳しい事は記されていません。

クニトコタチ漢字(1+2)

ホツマツタヱでの表記は「クニトコタチ」です。

古事記や日本書紀のように名前の最後に「カミ(神)」や「ミコト(尊)」の文字は付きません。

実際にヲシテ文字で書くと、、、

クニトコタチ(ヲシテ+龍体)

左側がホツマツタヱで記されているヲシテ文字です。

右側は龍体文字(ホツマツタヱとは関係ありませんが、この文字も好きなので書いちゃいました(笑)ちなみにこちらも神代文字の一つ)です。

よく「名は体を表す」と言いますよね?

漢字では「国之常立神」「国常立尊」ですが、パッと見た感じで解釈すると、、、

・「国が常に立つ」⇒「国が永久に(千代に八千代に)続く」
・「常」を「とこ」という読み方をしているので「国の床(とこ)が立つ」⇒「国土の表れ」

といったような意味が見て取れますね。

クニトコタチは古事記、日本書紀では肉体を持たない国土を表す神として存在しました。


では、ヲシテ文字で解釈するとどうでしょう?

漢字以前に存在した神代文字

あっ、そうそう、その前に、、、

僕たちは漢字やひらがな、カタカナで言葉を解釈してきたし、それが当たり前だと思っています。

漢字が日本に入る以前は文字がなかったと教えられてきたので。

でも、もともと日本には神代文字という文字が存在していたと僕は思っています。

もちろん、その実在についても昔から賛否両論あります。

ただ実際、伊勢神宮の「神宮文庫」には稗田阿礼(ひえだのあれ・古事記編纂者の1人)、後醍醐天皇、平将門、菅原道真、源頼朝、源義経などが書いた神代文字(ヲシテ文字ではありませんが)の奉納文が収められているんですよね。

神代文字がもともと日本にあった文字だとすると、その意味を読み解くことで、漢字が入る前に日本人が「音(おと)」として捉えていた言葉の意味を知る手掛かりになります。

ここでは神代文字の一つであるヲシテ文字で読み解いていきますね。

画像4

(※ホツマ出版株式会社で販売されている「ヲシテ文字表」です。)

ヲシテ文字は母音が宇宙の五元素、子音がそのエネルギーの状態を表しています。

一字一字に意味がありますが、解釈として定まっていない面もあります。

正確に言うと、母音の五元素(ウツホ、カゼ、ホ、ミヅ、ハニ)の解釈はほぼ定まっていますが、子音については研究する方々によって若干相違があるのです。

そもそもヲシテ文字は、五元素という抽象的なエネルギーを文字化したもの。

「これが正確な意味だ」と決めつけるより、感覚、フィーリング的な読み解き方が必要になってくる文字だと僕は解釈しています。

だから、細かく意味を固定化するより、解釈の幅があった方がいいと感じています。

「クニトコタチ」の名前をヲシテ文字で読み解いてみると?

では、実際に「クニトコタチ」という文字をヲシテ文字で読み解くとどうなるのでしょうか。

あくまで僕の個人的感覚による解釈として受け取って頂けたらと思います。


「ク二トコタチ」という文字をヲシテ文字の母音と子音に分けると下記のようになります。

五元素(クニトコタチ文字説明)

これを2文字ずつ僕なりの解釈を加えていきました。

◎クニ

五元素(クニトコタチ説明2-クニ)

日本は日の本の国。国旗は日の丸です。天照大御神という太陽神を皇祖神としお祀りしています。太陽は生きとし生けるものに分け隔てなく光を降り注いでくれます。

また古来より、内外問わず、様々な要素を融合することができる和の精神を大切にしてきました。

日本人にとっての「クニ(国)」とは、あまねく照らす太陽の光が降り注ぐように、調和の精神をもって生きることを目指した場所(共同体)だったのではないかと思います。

◎トコ

五元素(クニトコタチ説明2-トコ)

私利私欲を持たず民のために「つくす・やわす」というアマカミ(指導者)がもつべき「トの教え」の精神を定めたのがクニトコタチでした。

この「トの教え」は指導者が民を思いやる心、民が指導者に感謝する心の両方を兼ね備えているものです。もちろん見返りを求めた行為ではありませんが、一方通行ではないということですね。

太陽はあまねく全てのものを照らしてくれますが、僕たちも太陽の光をありがたいものだと感謝します。

日常ではあまり感じられない人もいるかもしれませんが、例えば、何日も太陽が出なかった後に、太陽が久しぶりに顔を出し、その光を自分が浴びたとき、「ああ、ありがたいなあ」と感謝の念が沸き上がってくるのを感じた経験はあるのではないでしょうか。

「トの教え」はそのようなイメージで捉えてもらえたらいいのかなと思います。

また「ト」は「アモト」という魂の故郷を表す言葉にも使われています。

ホツマ宇宙図2

アモト2

「トの教え」の基本精神は、この「アモト」からきたもの。

五元素(クニトコタチ説明2-ト)

「ト」の子音は「五元素のエネルギーを地に降ろす」という意味。つまり「ウツホ、カゼ、ホ、ミヅ、ハニ」のエネルギーを自分の中に取り込み、そのエネルギーをタミ(民)の生活のために使っていたという解釈もできます。

五元素誕生のみ

この五元素は、

五元素誕生(説明入り)

「ア(天)」という左巻きの渦巻きと「ワ(地)」という右巻きの渦巻きから生まれ、

アウワビッグバン-2

その渦巻きはアメミヲヤという創造神の「ウ」という息吹から生まれました。ビッグバン、全てが分かれた源(皆の元)。対立がない大調和そのものです。

◎タチ

五元素(クニトコタチ説明2-タチ)

「タ」は母音がウツホ(宇宙そのもの)、「チ」は母音がカゼ(風の源)で子音は共通で「五元素のエネルギーを地に降ろす」です。

「ウツホ」は宇宙そのものを意味するので、無限に広がっていきます。「カゼ」も場所を定めず自由に吹くことができます。

ものすごく広がりがあり、幅広い範囲から様々な要素(エネルギー)を取り込み、柱としてしっかりと立てる(地に降ろす)という解釈をしました。


まとめると、、、

五元素(クニトコタチ説明2-クニ)

五元素(クニトコタチ説明2-トコ)

五元素(クニトコタチ説明2-タチ)

私欲を持たずに民のために「つくす・やわす」という精神(トの教え)を軸として、太陽の光があまねく照らすような調和するクニ(国)の礎(いしずえ)を築いた。

というところでしょうか。


いかがでしたでしょうか?

かなり抽象的な概念を、少し強引に言語化している苦しさを感じていただけたのではないかなと(笑)

最初にも書きましたが、ここに書いたことはあくまで僕個人の解釈に過ぎません。ホツマツタヱにそう書いてあるわけではないことを留め置いてくださいね。

日本の建国の祖クニトコタチとは?

クニトコタチ(見出し用)

では、実際にホツマツタヱにクニトコタチはどのように記されているのでしょう?

エピソードこそ少ないですが、日本という国の理念や民の生活の基盤を作ったことがホツマツタヱには記されています。

神様ではなく人として、指導者(リーダー)としてのクニトコタチを感じていただけたらと思います。

「この国の始まり」と一口に言っても、何をもって始まりとするかで変わってきますが、「クニ(国)」という概念が誕生したことを指すとしたら、クニトコタチは建国のリーダー的存在でした。

人類の祖ミナカヌシが誕生したのは、まだ地球の気候が安定しない氷河期(旧石器時代)の頃。人々は住みやすい土地や食糧を求めて各地を移動し、子孫を残す。とにかく生き抜くことが最優先の時代だったと思われます。

氷河期から温暖化の時代となり、植物が多く自生するようになると、人々の生活も徐々に移動から定住へと変わっていきました。

気候が温暖化した際、海面が上昇した現象(現在より2~3メートル)を「縄文海進」と呼び、これが起こったのが縄文時代前期(約1万~5500年前)と言われています。

縄文時代と言えば貝塚が有名ですよね。この貝塚が現在の海岸線付近ではなく、内陸部で多く発見されていることも縄文海進の大きな証拠となっているようです。


クニトコタチが現れたのは、おそらくこの縄文海進が起こった頃。

クニトコタチは皆が安定した定住生活を送れるように、木の実の栽培と住居を建築します(竪穴式住居)。

縄文時代の食の確保は漁、狩り、採集の3つだったと発掘調査から言われていますが、主食はクルミやクリ、ドングリなどの木の実が多かったようです。

氷河期に生きるため移動に次ぐ移動をしていた人々は、クニトコタチが現れたことによって精神的基盤を得て、生活の安定化を共に協力しながら「クニ(国)」という共同体(場所)の礎を作っていったのです。


クニトコタチが作った国は「トコヨクニ」といわれました。

漢字では「常世国」と書き、理想郷や死後の世界など実在しない曖昧な世界となっていますが、ホツマツタエではクニトコタチが「トの教え」の理念をもとに作り、その教えがしっかりと固まった国のことを「トコヨクニ」といいました。


ホツマツタヱの14アヤ(章)にはこのように記されています。

タミモミナクニトコタチノコスエナリ

民もみなクニトコタチの子孫なり、と。

その子孫とは現在の僕たちのことです。


クニトコタチは、後の日本の精神的礎(いしずえ)を作り、それを八人の皇子たちに伝え、神上がりされました。

系図(クニトコタチ-トホカミエヒタメ)2

その精神は八人の皇子たちやその子孫に受け継がれ、
「指導者としてどう生きるか」
「人としてどう生きるか」
という問いかけをホツマツタヱという物語を通して語り続けることになるのです。


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