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心を傷つけられた人と連絡を取ることは~気付かされる関係性~

どうして人はこうも簡単に人を傷つけられるのだろうか?


日本でお世話になった職場の同僚が、心を傷つけられてしまった。その人自身はすごく頑張り屋さんで、でも休めない人。
だからこそ、自分のこころを少しずつ蝕んでしまった節も確かにある。

けれど、最後の引き金を引くのはやっぱり人のことを考えずに発言する人の一言。そんな人の言葉なんて真に受けなければいいのに、真面目な人ほど人の言葉を最大限に受け取ってしまう。良いことも悪いことも全部。


今フランスにいる私は、その人が心を痛めてしまったと聞いてどうすれば良いのか分からなかった。だからこそ、その人と連絡を取りたいと思った。
今までその同僚を道具のように甘い顔をしてはこき使っていた人に、せめて状況ぐらいは把握しているだろうと聞いてみても、連絡を取っていないから状況は分からないと言う。仕事を休んだとたんに、腫れ物に触るように連絡することをせず、知らんふりをする。連絡を取ることが負担になるかもしれないからと。
確かに間違ってもいない。けれど……。


でも、私はどうしてもその人と話がしたかった。大きなお世話と思われるかもしれない。だけど、もしここで連絡を取らずにいたら他の人と変わらない。きっといつか後悔する。他の人からは情報が得られないから、私なりに言葉を選んでメッセージを送るしかない。

シンプルで、どんな状況にあってもなるべく負担にならないように。でも、相手が少しでも返信してくれるような、そんなメッセージ。
うまくは考えられたか分からないけれど、そう思ってくれるように願いを込めることだけはした。

しばらく返信はなかった。
けれど、思いはちゃんと届いていたようだった。

返信には謝罪の言葉が並べられていたけれど、全て無視をした。そんな言葉が聞きたい訳でもなかったし、きっと向こうもそれに満足をしているわけではない。だからこそ、少し話がしたいと一番伝えたかった思いを伝えた。

その返事が正しかったのかは分からない。
またしばらく返信が滞ったから、私の返信がいけなかったのか? と、心配になりもする。

時差もあるし、お互いメッセージのやり取りは苦手だ。
いつも時間がかかる返信。その延長線なのか、それとも、もう返事は来ないのか……。


思いは伝わる。
私はどこかでそう信じていた。だからこそ、あまり気にせず気長に待つつもりでいた。心のどこかでは、返事が来ないと言うことを想定することすら難しかった。

そしてついに返事は来た。
『私も話せるのを楽しみにしている』と。

そこから予定を詰めるまでは早かった。きっとその人なりに葛藤はあったのだろう。いきなり話をしたいと伝えたことは綱渡りだったのかもしれない。数年に渡って信頼関係を気付いていたことも大きかったけれど、なにより、私と話をしてくれる機会を作ってくれたことを感謝した。

テレビ電話をすると決めた当日、本当にその人が画面の向こうで笑ってくれるのか、心配になった。
1度でも笑ってくれたらそれでいい。いや、笑ってくれなくても、状況を知るだけでもいいとさえ思った。

少しやつれた表情のその人は、気まずそうにも見えたけれど、きちんと挨拶をしてくれた。ごめんねもすみませんもない挨拶。そう、あなたは何も悪いことはしていないんだと、こちらも言葉にせずに訴えかける。

他愛もない会話をしながら、でも相手も本題に入りたくなるころを見計らって、こちらも声をかける。

少し口ごもって、それでも訥々(とつとつ)と話してくれる真実に、私は画面の向こうのその人に伝わらないように怒りを噛み殺すのに必死だった。

辛いのはその人なのだ。
私ではない。


心のない言葉をかけて自分のこころに最後の引き金を引いたその人のことすらも、擁護しようとその姿を見ているだけで精一杯だった。
こうして自分を奮い立たせて頑張って来たのだと、褒めることは出来ても、一緒に怒ってあげることは出来なかった。他人の悪口を言うのは簡単だ。だけれどその人は大切にそうしないようにしてきた。

私が悪口を言ってしまったら、
他人を嫌いにならないでおこうと生きて来た
その人の人生そのものを否定しかねないから。

それが分かっているからこそ、思うのだ。
あぁ私はこんなに強くない。
他人を肯定して、擁護して生き続けるなんて……私にはできそうにない。

それだけに怒りがこみ上げる。
まだ私が日本にいる頃なら冗談も交えながら愚痴のはけ口ぐらいには慣れていたのだろうけれど……。中々そうできない状況にも、そうしたいと思わせる状況を作ってしまった人たちに対しても。
でも、今でも精一杯話を聞くことは出来る。相手の負担にならない程度に、その人が話をしたいと思った時に。

残念ながら職場で出逢ったからこそ、完全に友達として付き合うことは難しい(まだお互いにその職場に属しているだけに)。
そして幸いなことに、職場で出逢ったからこそ、お互いに状況を明確に伝えあうことが出来ることもある。

どんな出逢いにもお互い支えあう必要性があって、その状況に応じた出逢いがあるのモノなのかもしれない。どんなに辛いことが起こっても、その人を助けられるような関係性を気付ける立場で。

その関係を築けた今では、きっとどちらかが職場を離れても、きっとこれからも今の距離感で、お互いを支えあっていくことが出来るだろう。

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