あざなえる縄の如し
実家に帰ってきました。
実家には、年に1、2回帰る程度でしたが、昨年の8月、それから年末年始、そして今回と最近は比較的頻繁?に帰ってきています。
実家に帰ったからといって何をするわけでもなく、ゴロゴロと過ごして終わるだけですが、それでもやはり心落ち着くのが実家なのかもしれません。
そして、数日もいると、またソワソワしたくなって日常に戻っていく。
そんな一時避難的な場所が自分にとっての実家のような気がします。
今回、実家に帰って、一番の出来事。
8月に失くしたと思っていた小銭入れが見つかりました。
この小銭入れには硬貨だけではなく、クレジットカードも何枚か入れていました。
ですので、失くしたときは結構焦りました。
カード会社に連絡して、カードの機能をストップしてもらって、再発行のお願いをして。
しかも、ANAのカードと一体になったクレジットカードも入っていましたので、実家から茨城に帰る飛行機に乗るのにも苦労しました。
そんなこともありましたし、何より、かなり長く愛用していました(もともとはヌメ革でしたがこんな色になりました)ので、失くした当時はかなり落ち込みました。
その小銭入れが今になって出てきました。
出てきた小銭入れを見ていると、嬉しさと同時に不思議な気持ちにもなってきます。
もし、あのとき失くなっていなければ•••
おそらく他の持ち物と一緒に火事で燃えていたと思います。
たまたま、失くなったからこそ、火事で燃えることなく、今こうして自分の手元にあります。
禍福はあざなえる縄の如し
幸福も災禍も表裏一体で、何が幸せで何が禍いかなんて、実は誰にもわからないんだっていうことを教えてくれる言葉です。
それなのに、勝手な判断で、「これは幸せ、これは禍い」って簡単に決めて、一喜一憂しているのが自分たちの姿ではないでしょうか。
起こった事は誰にも変えることができません。
そして、自分たちは起こったこと、それ自体で苦しむわけでも悩むわけでもありません。
起こったことを自分なりに解釈し、そのことで苦しんだり悩んだりしています。
当然、同じように自分なりの解釈で、喜んだり楽しんだりもしています。
そう考えてみると、自分を苦しめているのも自分ですし、自分を喜ばせているのも自分です。
そんなことを考えてみると、日々起こる出来事にあまり振り回されず、少し落ち着いて対応できるような気がします。
そして、こうした小銭入れとの再会にご縁を感じることで、日々起こる出来事に少し安心して対応できるような気がします。
そんな嬉しくて、学び多い週末でした。
宗慧
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