なぜおれは名取さなに飽きないのか

「恋愛感情は2年で消える」という俗説がある。
付き合い始めた最初は相手の一挙手一投足に新鮮な魅力を感じるが、それが時とともに次第に薄れてゆき、2年ほどで相手に飽きてしまうというものだ。むろん俗説に過ぎないのだが、この「2年」という数字は言われてみると納得感があるように思われるし、もっと言えば、恋愛以外にも当てはまるのではないかと筆者は考えている。
漫画雑誌「まんがタイムきらら」の界隈では「2巻乙」という、連載作品の多くが単行本2巻までで終わってしまうことを指すミームがある。「きらら」作品の掲載ペースだとおよそ1年に単行本1巻程度のペースとのことなので、これも約2年にあたると思われる。またソーシャルゲームにおいても、ざっと検索したところ約2年半~3年が“平均寿命”と言われているようだ。そして実際に自分自身を顧みてみても、現在まで続くいくつかの例外を除けば、趣味として追いかけた対象の中で2年以内に飽きてしまったものは少なくない。
いずれにせよ、人がある対象に対して抱く魅力は、2年程度で新鮮さを失い飽きてしまうことが多い、と言えるのかもしれない。

名取さなを好きになって6年になる。
彼女がYouTubeに最初の動画を投稿したのは2018年3月16日で、筆者がその動画を見たのは1週間後くらいだったと記憶する。その後少しして見たライブ配信で一気に引き込まれ、以来“波”はあれどずっと名取さなを好み応援してきている。
……長い、と思う。6年である。小学校にピカピカの1年生で入学した子どもが1.3倍くらいにデカくなって中学校へ向けて卒業する年である。思い返せば自分だって、6年前ならまだ…………かなしくなるのでこの話はやめよう。
ともかく、6年経った今でも全然名取のことは好きだし、見続けたいと思っている。そもそも普段は何年とか意識することも無いのだが、先日のばくたん(誕生日イベント)で「ついに7年目になる」という発言があり、筆者はそれに少し驚いたのだ。なぜおれは名取さなに飽きないのか。言い換えれば、名取さながオタク(筆者)を惹かせ続ける魅力は何なのか。それをちょっと考えてみたい。

冒頭で、筆者の趣味には飽きずに現在まで続くいくつかの例外があると言った。それがヒントになるかもしれない。
その一つが「鉄道」だ。筆者は物心ついた頃からの鉄道オタクで、趣味歴になおせばゆうに20年以上になる。よくもまあ飽きないものだと思うが、一方で周りの鉄道オタクを見回してみても、好きになって数年で飽きたなんて人はまず居ない(ほとんどは自分と同じく子どもの頃から好きなのが延々続いているタイプ)。「飽きる」という感覚も分からない。
たぶんこれは「クルマ」とか「ミリタリー」とかでも同じだと思う。そしてなぜ飽きないのかを考えると、“供給”の多さと広さ、そして時代の変化によって、常に新鮮な魅力を味わい続けることができるからだと思われる。「鉄道」で言えば、その趣味の範囲は非常に幅広い。単純に全国各地に数多の鉄道があるというだけでなく、例えば車両の見た目から機械的特徴、路線の歴史や地域社会とのかかわり、旅行趣味との結合、はたまた駅弁まで、目を向けられるところは無数にある。また、最近は観光列車が増えてきたりオタク向けの売り出し方をする例も出てきたりして、時系列変化的にも新鮮なもの・ことがたくさんある。飽きている暇なんかないのだ。
ただしここには、範囲が幅広くてもその基盤には「鉄道」であるという前提条件もある。例えば、四国のあるローカル線ではバスが線路の上も走るDMVという乗り物があるのだが、興味深いと惹かれはするものの、それが「鉄道趣味」としてどうかと言われると微妙である。つまり、「鉄道」であるというアイデンティティの上で、様々な供給や変化を新鮮に楽しみ続けられるというのが、この趣味の本質だと思う。
こう考えてみると、「鉄道」、また「クルマ」や「ミリタリー」という趣味は“ジャンル”である。漫画・アニメにおいても、特定のコンテンツに2年で飽きてしまうことはあっても、「漫画・アニメ」というジャンル自体に飽きるオタクはなかなか居ないだろう。数多く多様な対象を内包する“ジャンル”として捉えられる趣味は、強い。

名取さなになぜ飽きないのか、もう分かった読者もいるかもしれない。「名取さな」において提供される“供給”はとても多くて多様だ。普段の配信でのトークやゲームに始まり、オリジナルソング、企画やイベント、グッズ、漫画、ラジオ、様々な施設とのコラボレーション等々、様々な“供給”をしてくれる。またそれぞれの“供給”の中でも、時間的変化も含めて新たな魅力を見せてくれたりもしている(ちょうどこの前発表された新曲「いっかい書いてさようなら」では大人で成熟した一面が表出されていたり)。つまり、「名取さな」はもはや単なる“コンテンツ”ではなく、“ジャンル”の様相を帯びつつあると言える。
一方で、範囲が広がり時系列的に変化しながらも、その基盤には「名取さな」であるという変わらない前提条件=アイデンティティが常にある。変わらない基盤の上で多様な変化を見せてくれることが、「名取さな」という“ジャンル”を安心して追っていける理由にもなっていると感じる。

(ネガティブな話になるが追記しておくと、「鉄道」などと違って人なので、アイデンティティという基盤自体が変化していっていつか自分が前提条件を見出せなくなる(=not for me)という可能性も無くはない、ということには留意しておこうと思う(そういう経験もある)。ただもしその日が来たとしても、変化したアイデンティティを否定したり口出ししたりするのではなく、ただ黙って立ち去るのが趣味者としてあるべき姿だと信じている。)

また、「鉄道」の話ばかりしてしまって恐縮だが、鉄道趣味の幅広さは隣接領域への興味や知見を拡げてくれることも大きな魅力に感じている。各地の歴史や風土、絶景や郷土料理など、鉄道趣味をきっかけに知ったこと、鉄道オタクをやっていなければ知らなかったことは多い。日本海はいつも鈍色だと思っていた筆者に、夏の晴れた日本海の「碧」という色を教えてくれたのも鉄道旅行であった。
これと同じことが「名取さな」にも言えると思っている。「名取さな」のオタクをやっていなければ、例えば名作ゲーム「MOTHER2」の内容を知ることも、イベントに行ってオタク達とサイリウムを振ることも、スイーツ系かき氷を食べることも、お出かけにサコッシュを使うことも、ラジオ番組におたよりを送ることも、献血をすることも、那須どうぶつ王国に行くこともなかっただろう。その他にも「名取さな」を追っていたおかげで知ることができたこと、世界を拡げてくれた経験がたくさんある。そうしたことは単なる趣味の範疇を超えて、人生経験という一生に残る糧にもなっている。

だから、これからも叶う限り応援し続けたいと思う。「名取さな」という“ジャンル”の上で、新鮮な魅力とまだ知らない世界をこれからもオタクに見せてほしい。7年目もその後も、どうかよろしくお願いします。


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