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あきらめなければ、動かない足が動かせるようになった話

立って座って、歩いて、時には走って。
自分で食事をつくり、トイレに行き、入浴する。
自分で着替えて、寝る。
寝返りをしながら眠り、寝床から起きる。

これだけのことを、息を吸って吐くのと同じようにできていたある日、突然、全てができなくなったら。
平凡だった生活が、遥かに遠く、奇跡的な幸運の上に成り立っていたように感じられることだと思います。

あるいは、お付き合いが長く続く恋人が、些細なケンカで少し疎ましくなって関係が悪くなり、別れたら。
自分にとって、その人の存在が思っていた以上に大きかったことに気づきます。

組織においても、目立たないタイプの人が異動や退職でいなくなると、急に人間関係のバランスが崩れて、揉め事が増えたりします。
組織にとって、メンバーが変わって初めてわかる、目に見えない役割を果たす人の存在が貴重だということ。

このように昔から、実話だけでなく、多くの歌や小説などの様々な形で、先人が「今あるものを大切に」という教えがあります。

皆知っているはずなのに、いざ直面しないと真剣に考えないのが人間という生きもの。残念ながら、なかなか生かされることはありません。

失って初めてわかる、いま出来ることや、近い人の存在の大きさ、ありがたさ。
失わないと分からない、痛い目に遇わないと分からないのが人間なのかな、とも思います。

冒頭の立って座って…の話は、私の母が3月に大怪我をして経験した実話になります。現在も、母はリハビリに毎日励んでいます。

正直な話、息子として後悔があります。
母が歩けて、どこでも行けるうちに、もっと一緒にいろんなことをしたり、旅行に行っておけば良かった。もっと、頻繁に実家に帰れば良かった。

母は大怪我をして、生活の全てにおいて介助が必要な状態になりました。
立って座って、歩いて、食べて、寝るという、日常の生活がどれだけ高度なことなのか、改めて思い知りました。

一方、私は日常生活に特に不便もなく、仕事ができています。平凡な日々だと思って生きてきましたが、今は、めちゃくちゃ「有り難い」生活ができていると感じています。

先日、手術を受けた病院で、母の診察に付き添いました。
車いすで座って待っている母は、「お尻が痛い」としきりに言います。

そこで、介護経験がない私ですが、腕力で何とかなるだろうと、母の座る位置を少しだけ変えようとしました。

「えっ・・・重い」
母は小柄で、体重は40キロ前後ですので、何とかなると思っていたのですが、力を込めてもなかなか動きません。
何度か繰り返しチャレンジして、どうにかこうにか位置を変えることができましたが、肝心の母のお尻の痛みはあまりとれない様子。

介護の仕事は、なんと大変な仕事なのだろうか。
身をもって、難しさを感じたのでした。

自由に寝返りを打つことも難しく、お尻や腰、足の痛みに堪えてリハビリをしながら、明るく冗談を言って笑わせる母。

「孫たちとジャンケンできるようになりたい」

できないことを嘆くことなく、前を向く母は、本当に強い人なんだな。
自分の母ながら、あらためて人としての器の大きさを知ったのでした。

「お母が、お母が立った!お母が立ったよ!」

「アルプスの少女ハイジ」に出てくるクララのように、立って歩ける日まで、母と私たち家族は、声を掛け合って生きていこうと思います。

立てない、歩けない、などの出来ないことを嘆くのではなく、今できることに感謝して、とにかく、可能な限り楽しく、リハビリ生活ができるようにしていくことが、当面の目標です。

出来ないことではなく、出来ることに焦点を合わせると、いろいろ見つかります。

まずは何より、命が助かったこと。会話ができること。片手は比較的自由に動くので、自分で食事ができること。

また、今年3月の手術後には、両足の痺れが強く、一切動かせなかったのですが、7月くらいから、ひざ下から動かせるようになりました。今は少しずつ、ひざの曲げ伸ばしなど、さまざまなリハビリを続けています。

ほぼ、両足は動かないとあきらめていただけに、数ヶ月でここまで動かせるようになるとは、と主治医の先生も驚き、次のようにおっしゃっていました。

「同じ怪我(頸髄損傷)をした患者さんは、たくさんおられるので、ここまで回復するのは励みになります。他の患者さんにも、お母様のことをお話しさせてもらいます」

母の頑張りが、他の患者さんの励みになる。
私たち家族も、正直、あきらめかけていました。しかし、あきらめずに、毎日少しずつでも、地道に取り組めば、大きな成果をもたらす。

継続することの大切さを、まさに身をもって、母に教えてもらったのでした。
あきらめなければ、動かせなかった足すらも、自分で動かせるようになる。アンビリーバブル。

お母さん、こんなに頑張ってすごいよ。
母に伝えたら「あら、そうかしら。ふふっ」といたずらっぽく笑ったのでした。

偉人はいつも爽やかだ。

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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