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横浜市に暮らし北海道移住に至るまで➆

なんだか危なっかしい彼女をバイトとか会社員というものから、
わたしの「妻」にジョブチェンジすることで彼女の今後の人生を守り抜こうと決心したわたし、ですが・・・


結婚後のコトをカキコ前に
わたしの実家のコトにふれておきます。。

わたしの実家は横浜の田舎の方の名家で割と裕福でした。
祖父や父は地元では知らない人は居ないくらいの偉い人で、孫であり、子であるわたし達兄妹も周りの大人たちに、だいぶ忖度されて育ちました。
地元の小学校の先生らは、祖父の元教え子たちでホントに贔屓されました・・・(正直しんどかった)。周辺の土地は大半が一族や親族の所有で、ぜんぜん知らない人も遡れば遠い親戚みたいな。その土地を原資に一族は多くの会社を興して、日本の経済成長と共に成長し、膨張してゆきます。父はその右肩上がりの企業の役員を複数兼任して、学園の理事(祖父が理事長)をも務め、市場取引で株を嗜み、セカンドバッグに金チェーンの恥ずかしい財テク親父。kwskは知りませんが正直じゃぶじゃぶだったと思いますw

わたしは物質的な苦労が存在しない、
いわゆる「坊ちゃん」の生まれです(爆)。

兄妹は、兄が一人、妹が二人の四人兄妹。一時、その四人が同時に私立の中学高校大学に通い、学習塾を始め、複数の習い事、各々家庭教師付きの生活をしてましたから、わたしには到底届かない経済状態だった・・・正直じゃぶじゃぶだったと思いますwww
地元や実家はけっこう息苦しかったですケド、人並みに感謝はしています。

父はそんな家の出身で偉い人。


母は他県の出身ですが、父同様に地元の名家の箱入りで、母の家は家政婦が複数人いて祖母は家事をせず、戦後の混乱期に祖父は毎晩ステーキを食べていたという家です。祖父は呉服屋を営んでおり、その関係か?京都の方の「一見さんお断り」という、格式の高いお店にも出入りできるご身分だったとか?よくわかりませんがwお座敷に舞妓さん芸妓さんをあげて金比羅船々とか投扇興とかしたんでしょうか?よくわかりませんがwww
わたしたち家族が遊びに行くと、祖母がよく「おさんじ」を頂きなさいといってお菓子とお茶をくれました・・・お3時?「おやつ」のコトかな?
わたしは物心つく前から落雁を御抹茶で頂いて「おさんじ」してました。
祖父が笑う時、手の甲をお口にあてがって口の中が見えないようにしてから
おちょぼ口で「オホホホ」と小さく笑う・・・扇子を持ってる時はそれを使ってましたが、もはや古い漫画向けの表現ですよねwリアルでは見ない光景を見ると言う現実。

母はそんな家の出身で世間知らずのおひい様(お姫様)。

(付記)妻やお義母さんに言わせると、わたしの母は(祖母譲りなんでしょうか?)かなり浮世離れしている印象で、普通じゃない、言うなれば
「やんごとなき」人らしいですwわたしも薄々気づいてましたケド・・・。


そんな名家出身の両親がお見合いを経て結婚し、二人でわたしの実家を建立したワケですが、田舎とはいえ横浜市内にあって家は巨大で駐車スペースは無限に感じる程広く、6人家族なのに車が7台あった時期もありました。塚、当時わたしは車無しで末の妹が免許未取得でしたから3台余ってるしw
兄は成人すると就職もせずにアメリカに何年も留学?しに行ったり(結局、何しに行ったんだ?彼は?)、妹も百貨店の外商で顔パスで買い物?(外商でウチの担当者を呼び出し、家名と屋号を言ったら、支払いをせずに商品を持って帰れたみたいですwマジョで?すんげぇ大胆な万引きじゃねぇの?)したりで生活感というか庶民っぽくなくて兄妹もかなり浮世離れしています。

わたしも息苦しく感じる・・・
そんな家の出身のわたしと結婚してしまった妻。

経済的にはとにかく環境的に大きな変化をもたらして、その時の人生は超ベリーベリーハードモードだったと思いますので、今になって大変申し訳なく思っています。

とにかく
金銭的に困ることはないだろうと思いまして・・・
わたしも都内で商社マンしてましたしw

「彼女の人生をすべて背負うんだ!」
使命感に燃え、大きな決断をしたと気合十分の当時のわたし・・・。
(オホホホ・・・ホントに恥ずかしいですネ~w)

まあ、結婚すれば、しばらくは不得手なバイトやら会社勤めやらをせずに、気長に気楽に病気療養ができるだろうと、今にして思うと安易に決めてしまった、わたしたち・・・塚わたし!(むしろ妻は巻き込まれた被害者)

そこから
彼女の人生にはさらなる苦難が降りそそぎます・・・。

・・・⑧につづく。

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