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33歳の誕生日、我がオカンを振り返った

今日は大晦日で、今は新潟に向かう始発の新幹線の中。朝イチということもあり無事に指定席で3人席の真ん中のシートが取れたのだが、何故か窓際の席と通路側の席に座る外国人の方は友人らしく、僕を挟んで会話をしている。

先日の12月23日で33歳になった。
いつもお世話になっている方々、改めてありがとうございます。

昔から「僕の誕生日は天皇の誕生日です!」と少し誇らしげにしていたけれど、天皇の誕生日が変更された今でも自分の誕生日はなんだか少しだけ誇らしい。あと、一生大好きな女優である倉科カナさんと同じ誕生日であることは今後も変わらずずっと誇らしい。

好きです

30年ちょっと生きていると自分の考えや今の人格を形成している根本の体験や経験が分かってくるけれど、自分の場合は孫正義でもスティーブジョブズでもなく、間違いなくオカンの影響が大きいのだと歳を重ねるたびに強く思う。

先日誕生日を迎えた際にそんなことをふと思ったので、この世に誕生させてくれたMy オカンについて紹介したい。

ちなみに僕のオカンはめちゃくちゃに変わっている。あと、オカンはとても元気にご存命なのでご安心を。

来るもの拒まず

人に話すと驚かれるが、中島家には中島家以外の人が当たり前のように出入りする文化があった。毎日のようにリビングには近所の人や、知り合いの知り合いが遊びに来ていたし、朝起きたら近所のおばちゃんが自分の部屋に掃除機をかけているなんてことも日常的な光景だった。

今でも実家に帰ると夕飯時には近所の人と一緒に酒を飲みながらご飯を食べる日が多い。

昔から友達を家に呼ぶと当たり前のようにみんなで昼食、夕食を食べたし、オカンは必ず限界の一歩先までご飯をおかわりさせていた。そんなオカンの口癖は「泊っていくんだろ?布団敷いておいたよ。」だった。

成人式の日の飲み会終わりには「じゃあたかみつのカーチャンが作る飯を食って帰るか〜」と言ってたくさんの友人が家に集まったけれど、男女問わずオカンのファンは多い。

当たり前のように家の中に家族以外の人がいて、当たり前のようにみんなで飯を食べていた経験は、当たり前ではなかったのだと上京して初めて気づいた。

数年前に家族のLINEグループに実家のリビングの写真が送られてきたことがあるが、そこにはオカンと近所の人が飼っている犬と、僕の前職の後輩が映っていた。

近所の犬がなぜいるのかは本当に分からない

自分がいない新潟の実家で前職の後輩が朝食を食べている写真を見た時はさすがに笑った。あと、僕の前職の同期とオカンが初詣に行っている写真が送られてきた時も笑った。



どちらの写真もそこに僕はいない。

人との隔たりがない

今もそうなのかは分からないけれど、僕らが小学校の時は性別関係なく色んなバックボーンを持つ人が1つのクラスに集まっていた。中には少し身体的に不自由な部分を持つ子もいたし、周りと比べると少し発達が遅い子もいた。

小学生の子供はそういう子を面白おかしくイジるけれど、オカンは「⚪︎⚪︎くんとちゃんと仲良く出来ているのか」「積極的に話しかけるんだよ」「守ってやるんだぞ」と常々言っていた。

昔からどんな人とも打ち解けられるのは無意識な自分の強みだと思っていたけれど、人との間に隔たりがないことはオカンの影響であり、人好きな性格は完全にオカン譲りだと思う。

幸いなことに、本当に苦手だなと思った人はこれまでの人生で2人もいない。

また、少し話がズレるけれど、中島家はとにかく親族が多い。何かにつけては顔を合わせるが、顔を合わせる親族だけでも50名近くいる。親族の結婚式で両家顔合わせをするときはいつも50人対10人くらいの構図になるので申し訳なさすら感じる。

今でも新潟に帰れば必ず親戚の家に顔を出すし、うちにも親戚が遊びにくる。

うちのオカンはだいたいそのど真ん中にいる。

まず感謝、感謝しないとキレる

昔から口酸っぱく言われ続けてきたことがある。

それが「まず感謝」という言葉。

僕が理系に行くために高校に入ったにも関わらず勝手に進路を文系に変更して学校に提出したときも、銀行の内定を断って就職留年したときも、オカンは一切何も言わなかったけど、感謝の気持ちが欠けた時だけはキレる。

我が家は典型的な嫁姑問題を抱えた家庭であり、おばあちゃんはオカンに対してとてもとても当たりが強かった。出されたご飯にケチをつけるなんてことも多く、とにかく「ありがとう」がなかった。

何をしても感謝の言葉がなかったけれど、オカンは特に見返りを求めることもなく接していた。

そんなオカンの口癖は「何かをしてもらったら、まずありがとう」だった。

周りの人(仲の良い親友や年齢関係なく)から何かをしてもらったのに、当たり前のように受け取るとオカンはキレる。

「感謝のない態度」は嫁姑を眺めていると小さいながらに感じることが多く、多分オカンはそうならないように口酸っぱく言っていたのだと思う。

無償のGIVE

オカンは誰かに頼られたり、困っている人がいれば無限に動く。

近所に足腰の悪い人がいればタクシーのごとく病院まで送迎をするし、雪が降って移動手段がない人をよく車に乗せていた。知り合いが新潟に遊びにくるとなれば嫌な顔一つせずすぐに駅まで迎えに行く。いとこが学校で問題をやらかした時にはなぜかオカンが学校まで迎えに行って作りたての唐揚げを持たせて帰らせていた。友達が来れば合宿所のように大量にごはんを振る舞い、大量の布団を敷いてくれた。

誰かが風邪をひけばフルーツやらジュースやらを詰め込んで「救援物資」として届けていた。今でも僕が体調を崩すと「救援物資はいるか?」とLINEをくれる。差し入れ、みたいなマイルドな呼び方ではなく「救援物資」と呼んでいるのは何だか面白い。

親の無償の愛はすごいと思うけれど、オカンの愛は多方面に際限なく振り撒かれ続けている。同じことをやれと言われても自分には絶対にできない。

たまにやりすぎて晩御飯の食卓に和食・洋食・中華が同時に並ぶ時がある。身近な誰かが何かの大会で優勝でもしたんじゃないかと思ってしまう。

おしまい

ぜひ地元の新潟に遊びにきてください。
オカンが作る和食・洋食・中華を食べながら日本酒を飲みましょう笑

33歳、またこの1年よろしくお願いいたします。

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