陽だまりの中で

彼は幻想をダンスに連れていった。そしてひとりで帰ってきた。

T・オブライエン『世界のすべての七月』

 僕はかつて将棋のプロ棋士を目指していた。そして夢に破れた。そのときの話を書きたい。
 そんなことを今になってわざわざ書いているのは、忘却に抵抗するためだ。何も残せなかった人間のことは誰もが忘れてしまう。そして時が経つにつれ、彼自身も自分が確かにそこにいたことを信じられなくなってしまう。だからここで僕は、誰かの記憶に残るのはあまりにもありきたりな一つの挫折について、あるいは決して語られることのない物語について語ろうと思う。

 僕は2002年に生まれた。2002年に生まれたほとんどの子供にとって、プロ棋士を目指すということは、生涯を通してあまりにも大きい陰の中を歩くことを運命付けられたということだった。もちろんその頃の僕には知る由もなかったが。特に僕のような凡百の者たちにとって、この世代に生まれてしまったのは一種の悲劇でさえあった。この世代には恐ろしい才能が跋扈していた。最もその大半は、僕たちと変わらずに、ただ静かに消えていったのだが。

 僕が初めてプロ棋士になりたいと思ったのは、2010年の春の頃だと思う。それはちょうど69期名人戦のシーズンで、羽生善治と森内俊之が七番勝負を戦っていた。その頃将棋を覚えたばかりだった僕は、親がつけたテレビ中継をただ眺めていた。当然対局の内容など一切わからなかったし、それどころか棋士という職業の存在についてもあまりよく知らなかった。
 ただ一つ思い出せるのは、「ここはとても明るい」と感じたことだ。どうしてそんな風に思ったのかはわからない。対局室はどこかのホテルの和室で、蛍光灯だけが将棋盤を挟む二人を照らしていた。部屋はどちらかというと薄暗かった。けれども僕にはそう思えたのだ。彼らは目には見えない、暖かく柔らかい光に包まれていた。そこは陽だまりのようだった。
 自分もそこに行きたい。僕はそう思った。それは人生で初めて、本当の意味で何かになりたいと願った瞬間だった。

僕は将棋に夢中になった。あの頃は本当に一局一局が楽しかった。寝ても覚めても将棋のことばかりを考えていた。小学校の友達とサッカーやドッヂボールをするために通っていた公園も、次第に行かなくなった。それから一年と少しで道場で三段になった。このままいけば、プロになれるのではないか。子供心にそう思ったし、周りの大人も太鼓判を押してくれた。
 もちろん何人かの同い年の天才たちは既に奨励会でしのぎを削っていることは知っていた。それでも僕には自信があった。自分は大丈夫だ。このままいけば皆を追い抜いていけば、光が当たる場所に辿り着ける。自分は辞めていく他の奴らとは違う。本気でそう思っていた。

 その自信が無くなり始めたのは六年生の夏あたりだ。僕は連盟道場で四段昇段の一番を逃し続け、伸び悩みを感じていた。大会でも上位に勝ち進むことができず、その度に悔しい思いをした。自分に何かが欠けているのは明確だった。それを覆い隠すように将棋仲間の前では明るく振る舞うようにした。この辺りから将棋から逃げる癖がつき、ゲームなどの遊びにのめり込むようになった。
 そんな中、ふと開いた将棋世界に目を通すと、自分と同い年の少年がもう少しで三段リーグに参戦しようとしているのが飛び込んできた。その名前は言うまでもないだろう。このとき僕は初めて自分が何者でもないことに気づいた。

 それから奨励会に入るまでは三年を要した。その間自分の中では努力していたつもりであったが、結局のところ僕は将棋から逃げ続けていたように思う。僕はあまりにも怠惰だったし、他の幾つかの趣味に出会ってしまったことも大きかった。その間先を行く同世代の天才たちとの差は開く一方で、さらに下の世代も次々と自分を追い越していった。それでも奨励会に入ろうとした大きな理由は、僕には将棋を続ける理由が必要だったからだ。
 簡単な話だ。スポーツも勉強も好きではない、器量の悪い少年にとって将棋は格好の避難所であった。それにある程度の結果を出してさえいれば、帰宅部であっても周囲にあからさまに軽蔑されることも、暴力を受けることも少なくて済む。(無かったとは言わないが)。いつしか僕の中で将棋は、好きだから指すものではなくなっていた。
 もちろん僕はプロになりたかったし、あの陽だまりのイメージは未だに脳に焼き付いていた。しかしそれは呪いに近い何かに変容していた。それを思い描く度に頭がおかしくなりそうになった。その頃にはもう自分は決して彼らのような、いわゆる天才と呼ばれる人間ではないことなどわかっていたのだ。それにもかかわらず、僕は憧れを最後のところで捨てきれなかった。そして残酷なことに、その葛藤に苦しむたびに記憶の中の光景は輝きを増すのだった。

 奨励会に入ってから気づいたのは、彼らは二通りの人間から構成されている集団であるということだ。つまり、プロになれるかもしれない人間と、なれそうにもない人間。それを決めるのは空気やオーラといった類のもので、誰もが理屈を抜きにそれを感じ取ることができる。だから一度「なれそうにもない」と思われてしまった者が抜け出すのは大変である。一回や二回有望な人間に勝っただけではその差は埋まらない。多くの場合、彼らはそのままで退会していく。僕もその一人だった。昇級のペースは決して悪くはなかったが、それでも何も変わらなかった。

 初めて本格的に辞めようと思ったのは、入会して一年と数ヶ月が過ぎ、春も終わりに近づいていた頃だった。僕はあの日の濁り切った川面を覚えているが、なぜそんな場所にいたのかは思い出せない。とにかく僕は夕陽が沈む方に向かって川辺を歩いている。足取りは重い。考えているのはこれからのことだ。
 あと十年。年齢制限の26歳までのその期間はあまりにも長く、重く感じられた。おそらく自分の才能ではそうすぐにはプロになれないだろう。だから僕はその十年を戦い続けなければならない。果たしてそれができるだろうか?
 僕はこの問いに答えることができなかった。自分が限界に近づいているのは明らかだった。奨励会員には珍しくないが(むしろそうでない方が珍しいかもしれない)、当時の僕は精神的に酷く追い詰められていた。毎晩のように将棋に関連した悪夢を見たし、起きているときでも常に憂鬱な気持ちだった。異常は身体にも現れた。ストレスで体重は5kg単位での上下を繰り返していたし、いつだって手汗が止まらなかった。それまで手汗なんてかいたことがなかったのに。希死念慮めいたものに襲われることも頻繁にあった。高校の同級生たちは皆楽しそうに暮らしているのに、自分は地獄にいるように思えた。こんな状態があとどれだけ続くのだろう。それでもしプロになれなかったら。そんなことばかりが頭をよぎった。
 その年のある晩冬の日、僕は退会を決意した。契機となった出来事などない。ただ期が改まる三月末までに進退をきめなくてはいけなかっただけだ。辞める理由は単純だ。僕はその十年を生き延びる自信がなかったのだ。
 もう僕には「自分には将棋しかない」だなんて言い聞かせながら努力を続けることなんて到底できなかった。何故なら自分に本当の意味で将棋が「あった」瞬間なんて一瞬たりともなかったように思えたから。陽の当たる場所は想像よりも遥かに遠くにあって、僕は暗がりの中にいた。きっとあの最初の日からずっとそうだったのだろう。

 退会の日、気分は晴れやかだった。幹事の先生には「こんなに嬉しそうに辞める奴は初めてだよ」と言われた。それは自嘲の持つ、切り傷のような清々しさだった。結局のところ、自分は何にもなれなかったのだ。そう思うと何故か静かな笑いが込み上げてきた。あの光は自分のためにあるのではなかった。奨励会に入ろうが、あるいはプロ候補たちに何回か勝利しようが、結局自分は一人の観客に過ぎなかったのだ。あるいは天才たちが犇めく恐ろしい世界に迷い込んだ遭難者といったところか。いずれにせよ彼らは決してその世界の一部にはなれない。なぜならそこに本当の居場所はないのだから。そう、ここは自分のための場所ではなかったのだ。僕は帰る前に一度対局室を振り返って覗き込んだことを覚えている。そこでは夥しい数の少年たちが文字通り命を削って将棋を指していた。ほんの数十分前まで自分もまがりなりともそこに混ざっていたなんて思えなかった。もう二度とここに来ることはないだろう。二年半。あまりにも短い奨励会生活だった。

 師匠や両親など、周りの人々には本当に恵まれてきたと思う。心残りがあるとするなら、その期待に応えることができなかったことだ。

 それから数ヶ月が経ち、僕は悪夢を見なくなった。手汗もいつの間にか止まっていた。もう自分は将棋と関係なくなったんだな、と思った。それが嬉しいことなのか、悲しいことなのかはわからなかった。少しの間、消化することができない感情が喉につっかえる小骨のように心の中に留まっていたが、次第に何も感じなくなった。僕は夢を失い、ゆっくりと、しかし確実にそれに慣れていった。

 退会してから丸一年の間、将棋には一切触れなかった。一局もプロの棋譜に目を通さなかったし、一問さえも詰将棋を解かなかった。誰がどのタイトルを持っているのかさえも知らなかった。完全に縁を切ろうと思っていたのだ。結果的にその試みは失敗し、ある機会から僕は再び将棋に触れるようになる。だがその話は別の場でしたい。

 僕はこの体験から何を得ることができただろうか。アマ棋界で活躍するには足りない棋力と僅かな人脈だけと言い切ってしまえば簡単だ。だが本質はそこではないように思える。僕は何かになろうとして、失敗した。普通の子供は人生で最初の夢を数ヶ月ほどで諦めるが、僕はそれに10年近く費やしたのだ。これはとても幸福なことであり、同時に不幸なことであったように思う。

 最後に、もしこの文章を読んでいる中に、昔の僕と同じように暗がりの中で葛藤しながらも、それでも陽の当たる場所を目指す者がいるならば、その人がどのような状況であろうと僕は全くの純粋な気持ちで応援する。願わくばその人にはプロになって、道半ばで諦めた僕を後悔させて欲しい。これが僕の将棋における最後の夢である。

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