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【連載小説】引力(ライトブルー・バード<4.5>sideヒロキ)

↓前回までのお話です。

↓別垢で書いたヒロキとマナカのストーリーはこちらです。

「ねぇヒロキ…、もしかして今『あの子』のことを考えていた?」

 「えっ…?」

   レポートの作成中だった荒川ヒロキはキーボードを打つ手を止め、真正面に座っている真柴ヒデミの顔を見つめる。

「ヒロキって『あの子』の話をする時は、凄くいい顔しているから…ちょっとそう思っただけ」

   目の前の恋人は、責めるワケでも拗ねているワケでもない穏やかな口調でそれだけ言うと、視線をヒロキからパソコンの画面に移動させた。

   日曜日の昼下がり…今、この部屋で唯一音を出しているのは、ヒデミの指が鳴らすタイピング音だけだった。

   お互いが面倒な課題と格闘している最中ではあるものの、自分の部屋に彼女と2人きりでいるのだから、もう少しくつろげてもいいはずなのに 沈黙で空気が重い。

  (さて…どうしたものか…)

    ヒロキは「うーん」とうなりながら腕を組み天井を見上げる。そしてストンと首の位置を元に戻すとヒデミに優しく声を掛けた。

  「俺、やましいことは何もしていないから、『えっ? それ誰のこと?』なんて聞くつもりはない。ヒデミが言っている『あの子』って今泉マナカさんのことでしょ?」

  「そう。ヒロキの元バイト先にいて、あなたが可愛がっていた女子高生… 。当ててくれてよかった。他の女の子の名前が出たら、さすがに私も驚いただろうから…」

「…………」

   付き合って2年の月日を越えたが、未だにケンカらしいケンカをしたことがなかった2人…。
   温厚で『怒りのスイッチが行方不明』と周りに言われているヒロキと、『ケンカで感情的になるのは時間とエネルギーの無駄』だと考えているヒデミの間ではそう簡単に摩擦が生じるわけがない。

   もしかしてこれは交際が始まって以来の『修羅場』なのだろうか? 普段は負の感情を表に出さないヒロキだか、今回は珍しく顔をしかめてしまった。

  「バイト辞めて2ヶ月以上経つけど、あれから今泉さんと連絡は取っていないよ。そもそも俺たちはお互いの連絡先を交換していない」

「『やましいことは何もしていない』か…。そんなこと分かっているわよ」

「…………」

「…だから困っているの」

   パソコンの画面から目を離し、再びヒロキを見つめた恋人の表情は、目をそらしたいくらい哀しげだ。こんなヒデミを見たのは初めてだ…と思ったのと同時に、彼女の瞳に映る自分も全く別の男のように見えているはずだ…と確信してしまった。

 「…で、さっき私が聞いた質問には答えてくれないの?」

    先ほどからトーンの変わることのないヒデミの声色が胸に刺さる。そんな彼女に優しい嘘をついたところで何の気休めにもならない。

 「…うん、考えてた」

  心に鎖をつけることの難しさを痛感する。

  そう…自分は今泉マナカに惹かれているのだ。

 *

  こんな自分の姿を目にしたら、 あの頃のヒロキはどんな顔をするだろう…

  1年前、ヒロキ大学2年生の夏…。

   女子高生がカウンター担当として新たに採用されたことを耳にしたが、当時のヒロキは別に期待はしていなかった。

  (またすぐに辞めなければいいんだけど…)

    その前に採用された3人の高校生が1ヶ月も持たずに辞めてしまい、店長やサヨコが頭を抱えていたのを直に目にしていたからだ。

「お~い!荒川ぁ!!」

   同じ大学生バイトの土居ユウスケが馴れ馴れしく肩を組んでくる。

 「な、何かな?」

    彼のような距離感無視タイプとは、基本的に合わないのだが、それでも笑みを返すことを忘れないヒロキだ。

 「今、休憩室行ったらさ、今度入る高校生が来ていたんだよ。その子がめちゃくちゃ可愛いの!!目が大きくて顔がちっちゃくて…」

「…へぇ~」

   びっくりする位どうでもいい。

 「それにさ、1年生だってよ!高校1年生!!  最高じゃね? 俺、狙っちゃおうかなぁー」

  「はっ?」

    意味が分からない。高校1年生だとしたら、つい最近まで中学生だったということだ。何が最高なんだ!? 社会人になってからの4歳差なら分かるが、話が合うわけないだろうに…。

「荒川、抜け駆けすんなよ」

「しないよ」

「あ、オマエは彼女いるもんなー」

  『例え彼女がいなくてもしねーよ』…という言葉を心の中にしまいこみ、「業務に支障が出るような行動はするな」と釘をさしてヒロキはこの話題を終えた。

 「はじめまして、今泉マナカです。よろしくお願いします」

    店長から紹介された噂の女子高生は本当に可愛い顔をしているな…とヒロキは素直に思った。ただそれだけだ。

   そしてユウスケはヒロキの忠告など全く意に介さなかったようで、研修が終わると積極的にアプローチを始めてしまった。

 「今泉さん『マナカちゃん』って呼んでいい?」 「可愛いね」「彼氏いる?」「え? いないの!?じゃあ俺と今度映画に行かない?」「連絡先教えて」

   ユウスケもカウンター担当で、それをいいことにマナカのレジと隣り合わせになった時には、こちらが恥ずかしくなるくらいの勢いで彼女に話しかけている。それもサヨコや熊田がいない時を狙ってくるからタチが悪い。
   どうやらマナカも困っている様子で、後方の厨房からそれを見ていたヒロキは思わずため息をついてしまった。

  「土居、私語は慎め。お客様が見てるぞ」

   さすがにマナカが可哀想になってしまったヒロキは、用もないのにカウンターを通りすぎ、在庫表のバインダーでユウスケを小突いた。

   ヒロキと目が合ったマナカはペコッと頭を下げる。

  (やっぱり可愛いな…)

   それから数日後…

    別のアルバイト女子がマナカにしつこく話しかけていたのだが、それに対して彼女はきっぱりと言い切った。

 「業務中なので、そろそろ私語は慎みませんか?」

  (…へぇ~)

    ヒロキは驚いた。女の子って普通は波風を立てないために、無理して相手に合わせる子が多いだろう。ましてや隣のカウンターの子は一応先輩なのだから…。

   (あの子ならちゃんと続けられるかもしれない)

    マナカへの期待と共に好感度も上がってきたヒロキだが、ユウスケの気持ちは逆方向に向かっていたらしい。

  「荒川ぁ…、今泉さんって何かつまんねーわ。クソ真面目過ぎるし…。俺、降ーりーた」

 「…あ、そう」

    勝手に騒いで勝手に冷めて…そもそもそんなこと自分に報告する必要はないのだが…。

   (子供かよ)

    その日の夜、ヒロキからその話を聞いたヒデミは「ユウスケよりその女子高生の方が大人だね」と苦笑いをした。

  「ヒロキはどうなの? その子が気になる?」

  「…今泉さんはいい子だし可愛いけど、俺はロリコンじゃないからね」

  そう言いながら、ヒロキは後ろからヒデミを抱きしめた。

    ヒロキが思った通りマナカは真面目さと勘の良さでどんどん仕事を覚え、周りからの信頼も厚くなってきた。(ただし一部の同年代女子はそれが面白くないらしい)

  その成長スピードには感心するばかり…。

   (クマさんから手放しで誉められるのは凄いよ。俺なんかこの時期は失敗ばかりしていたからなー)

    そして2人はいつの間にか休憩室で雑談をする仲になっていた。

  「…そういえば、荒川さんが以前ここで読んでいた本なんですが…」

  「俺が?」

   マナカが海外文学作品のタイトルを伝える。

  「あー! あれね。思い出したよ」

  「私も読んでみたんですよ」

   「へぇー」

   「でもストーリーが全然頭に入ってきませんでした。前からタイトルは知っていたし、荒川さんが熱心に読んでいたので気になったのですが…。やっぱり大学生は凄いですね」

  「いや、実は俺もよく分からなかった。理系の専門書読むのは好きだけど、あのテの本はほとんど読まないな。あれは必修科目で文学を取ったから仕方なく…だよ」

  「えー? そうだったんですか」

 「それよりも今泉さん、本が好きなんだね?じゃあ、現国が得意なのかな?」

 「現国と古典だけです。それ以外は全然。特に数学が嫌過ぎて…。実はこの前の期末テスト38点だったんですよ。赤点ギリギリ~」

    笑ったり口をへの字に曲げたり…表情をコロコロ変えながら話すマナカを見ていると、こっちまで楽しくなってくる。

 「俺でよければ数学教えるから、今度休憩室に教科書持ってきなよ」

   ヒロキの口が勝手に動いてしまった。

 『妹みたいな存在』…ヒロキは昔からこの言葉に違和感を感じていた。
  だってこの表現1つで年下の女の子を近づけたり遠ざけたりできるのだから。要は『男性側の都合のよい言葉』なのだと常々思っている。

   少なくともマナカをそんな言葉で語りたくはない。

  そう、つまりそれが自分の中での答えということで…。

   気がつくと…後戻りできない自分がそこにいた。

   ハンバーガーショップの退職を早めた理由は学業を優先したいからではなく、マナカとの距離をこれ以上縮めないようにするためだった。

   自分だけの一方通行なら自制は可能だったが、マナカの気持ちを知った瞬間、その自信が崩れそうになっていることに気がついた。実際、退職をマナカに知られて目の前で泣かれた時は、もう少しで抱き締めてしまいそうだったのだから…。

「辞めちゃうの?ヒロキって今、そこまで課題に追われていたっけ?」

  不意にヒデミの言葉を思い出す。あれは彼女からの最初のジャブだったのだろうか。

そして今…、

   アパートの一室にいる恋人たちはお互いを哀しい目で見つめたままだ。

  この沈黙を終わらせたのはヒデミの方からだった。

 「昔読んだ恋愛小説に『心の浮気は身体よりもキツイ』って書いてあったけど、今なら解る気がするわ…」

 「…ごめん。ただ俺はこれからも今泉さんに会うつもりはない。それだけじゃダメなの?」

「ヒロキのことは今でも好きだけど…」

「…………」

「ヒロキの側にいる今の自分をキライになりそうなの。分かる? 透明な嫉妬が積もり積もって私のことを汚くしているんだよ。そして次に2人で会う時は、更にイヤな言葉を投げつけるかもしれない…」

「嫉妬させたことは謝る。俺が全部悪い。だからヒデミは汚くなんかないよ!!」

「ありがとう。でも、もうダメみたい」

「…え?」

「別れよう」

「………そっか…」

   別れの言葉よりも、それを静かに受け止めた自分自身に驚いたヒロキだった。もう、どこかで覚悟していたのかもしれない。

  「私たち、周りから『お似合いだね』って言われていたけど、実は相性が悪かったのかもしれないね。こんな時に語るのはおかしいけど、次の恋愛の相手は仲良く喧嘩できる相手を探すわ」

「オイオイ…『トムとジェリー』かよ」

  クスッと笑うヒロキだったが、その瞳は涙を塞き止めることに失敗をしていた。

   帰り際、ヒデミは精一杯の笑顔をヒロキに向ける。

 「私ね、別れた後に『友達に戻りたい』っていう男が世界で3番目くらいにキライなの。でもヒロキならいいか…って思っている。時が過ぎたら、私たちきっといい友達になれるよ」

「ありがとう」

   ヒデミは自分にはもったいないくらいのイイ女だったと改めて思う。

  だから自分はこれからもマナカに会うつもりはい。これはヒデミへの償いでもあり、これからのマナカのために…でもある。

   願わくば…近い将来、マナカが彼氏として選ぶ相手は、仲良く喧嘩できる男子であって欲しい。

   君のことが好きだから…

   時間が過ぎ、辺りは暗くなっていたが、ヒロキは電気もつけずに部屋の隅にたたずんでいた。心にぽっかりと穴が空いてしまったのが嫌でも分かる。身体がいうことを聞いてくれず、数時間もこの場所に座りっぱなしの状態なのだ。自分は感傷に浸る権利など持っていないというのに…。

  (情けないぞ…俺)

   その時、手元のスマホの呼び出し音が鳴り出し、ヒロキは思わずのけぞってしまった。暗がりの中、画面に浮かび上がったのは『サヨコさん』という文字…。

「……はい、荒川です……あ、お久しぶりです……あー、はいはいはいはいサヨコさんのウツクシイ声がきけて嬉しいでーす…って、え?『棒読みだ?』 気のせいですよ…………それにしても何で日曜日に電話掛けてきてるんですか?  今、店、忙しいでしょ?店長が過労死しちゃいますよ…う~ん………はいはい、俺が何回日曜日に残業させられたと思っているんですか?………全く………えっ?『そろそろ戻ってくるか』って?…も・ど・り・ま・せ・ん! 俺、勉強忙しいんですよ。……………あー! 何ですか?その含みのある言い方は?………はい…はい……あ、それいいですね。………じゃあ、今度クマさんと3人で時間合わせて夜の街に繰り出しますか!………あ、2人共、ハメをはずすのはダメですよ…俺と違ってお子さんがいるんですから……ダメです。遅くても9時に解散です…えっ?『朝の9時』? んなわけないでしょ!! 21時ですっ!!分かりましたぁ?…はい…はい、…ええ楽しみにしてます。………それじゃ」

   苦笑いをしながら サヨコとの電話を切ったヒロキだが、通話前はあんなに重かった身体が今、嘘のように軽くなっていることに気がついた。

「…あの人、超能力者かよ」

   自分の独り言に吹き出すヒロキ。そのままカーテンを閉める為に窓に手をかける。

「あ、…今日は満月だっけ?」

    藍色の空を彩っている大きな月を見て思わず窓を開ける。もしかしたらマナカも今、同じ月を今見ていたらいいのにな…と不意に思った。

   この美しい満月に免じて一度だけ思いを言葉に変換させて欲しい。二度と言わないと誓うから…。

「今泉さ…いや、マナカちゃん…本当は会いたいよ」

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<5>↓に続きます


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