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追憶 ~私の中の俳優・深水三章さん~

2017年の年末、12月30日、俳優の深水三章さんが突然亡くなられた。享年70歳。
私は芸能界とは無縁の生活をしていたので、深水さんとは顔見知りになる縁など何もなかった。当然、俳優・深水三章も知らなかった。

十数年前、その頃の私はバー行脚にはまっており、たまたま新宿三丁目の「Retreat倶楽部」というバーにたどり着いた。バーのオーナーが深水さんの所属する芸能事務所の社長さんだったこともあり、深水さんはほぼ毎晩やって来てはカウンターの片隅でグラス片手に過ごしておられた。私も頻繁に訪れたことから、いつしかお互い「いつも来ているあの人」の関係になり、軽く会釈を交わさせてもらう間柄になった。土日は“深水Bar”という触れ込みで店長としてカウンターの内側に陣取り、3000円ポッキリでビールとカウンターに置いてあるボトルは飲み放題という“自由放任営業”をされていた。また深水さんはそのバーでは月に1回のペースで女優さんと朗読劇をなさっていた。

それからはテレビでドラマを観るときは、脇役の俳優さんにも目が行くようになり、枚挙に暇がないほど色々なドラマや映画に出演されているのを知った。私は演技については門外漢なので、深水さんの演技がどうのこうのということは、ここでは述べない。

深水さんは特に騒ぐわけでもなく、煙草をくゆらせながら二言三言、問わず語らず水割りを口にされていた。店は何の変哲もない狭い薄暗いバーだったが、名だたる俳優さん、監督さん、脚本家さんらがふらっと顔を見せる「隠れ家」であった。ちなみにこのブログのタイトル画像はこの店のカウンターで何か背景画像に使えそうなものとして撮ったものだ。深水さんはよく「Canadian club」を飲んでいた。みな同業の方々はカウンターに陣取り、それぞれの時間を過ごしていた。教職畑を歩んできた私にとって、そこは今まで見たこともない世界だった。異なる世界の人たちと挨拶だけを交わすその場だけのささやかな交わりは、それだけで私にはとても新鮮だった。

そもそもの世界が違うので、私は深水さんと取り立てて交友を持たせてもらったわけではない。だから深水さんを思い出すと言えばその薄暗い店内で静かに飲んでいた姿だけだ。交わす言葉も特になく、帰り間際、すれ違いざまにどちらからともなく「それじゃまた、お疲れさん」と軽く握手を交わすだけだった。テレビドラマで脇役として時おり演技姿を見ては静かな夜の姿に思いを馳せた。たったそれだけのことだが、色々仕事での悩みも人並みに抱えた自分にとっては、ある種の精神的な拠り所になった。たったそれだけでホッとすることができた。それだけで十分だった。そして、あのような年の取り方に少しは憧れもした。

私もその年の年末には店で会っていたので、正月明けに亡くなられた話を聞き、にわかには信じることはできなかった。常連客だったということで社長さんのご厚意により新宿の京王プラザホテルで開かれた業界関係者の方々による「お別れ会」にも出席させて頂いた。船越英一郎さんや宇梶剛士さんの送辞から、ドラマの撮影現場では「脇役」ではなく、俳優さんたちの芝居を支える存在であったことを知った。

深水さんが亡くなられてからは、店内にはずっと深水さんの写真が飾られていた。深水さんが見守っていたそのバーは今年末に閉店するという。コロナ禍が始まってからは感染予防のため私もさすがに出向くことはできなくなった。もともと売上度外視で営んでおられたので、コロナ禍でも大丈夫かと思っていた。だが社長さんも相当なお年だから何かとお疲れになったのだろうと思う。

俳優・深水三章に出会えた場所はなくなってしまう。関西から出てきた自分にとっての拠り所の一つであった場所がなくなってしまう。人の人生に永遠はない。だから自分にとっての何かが無くなっていくことは受け入れなければならないのだろう。そもそも「隠れ家」としての店だったので、私もこうしたことは表に出すべきではないが、本年いっぱいで閉店と聞き、つい抑えられずこの店での一風景をここに書かせて頂いた。


在りし日の深水三章さん

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