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バレンタインデーが無い世界線に存在していたかったぐらいにバレンタインデーが苦手です。

なんなんでしょうね、バレンタインデー。

もう36歳ですが、結婚もしてますが、未だにずっと苦手です。

こんなものはチョコ屋と広告屋の陰謀だと36年間ずっと考えて生きてきました。

似たようなコンビニ屋と広告屋の陰謀である、恵方巻きの方が無害な分、よっぽどマシに思えるほどにバレンタインは苦手です。

今回はそのモヤモヤを見つめ直してみました。

無駄にソワソワした小中学校

正直なところ、ルックスは全く良く無いので、期待したところで誰からも貰える筈が無いのに、当日は誰かから何かがあるのではと妙にソワソワしてしまっていた小中学生。

そう、当時はそんな自分を客観的に見つめる能力はまだありませんでした。

このイベントのお陰で恋が成就された方もいらっしゃるかもしれませんが、大半の方は全く無縁だったはずです。

何よりうまくいくような関係性の方はこういうイベントが無くても既にある程度の勝率があることがわかっていたり、何とかなりそうな予感もしてそうです。(無縁だったのでただの妄想です。)

大半の方はその稀に成就する方を横目にこの日を悶々と過ごすとしたら、これが全日本で発生しているとしたら、なんと恐ろしい、そのソワソワ悶々エネルギーです。このエネルギーで、何か新しい事業が起こせるかもしれないです。(冗談です。)

人間は、人間の集中力をもっと大切に扱うべきです。

少し話が逸れましたが、大人になっても、人間の根っこのところは思春期のころに形造られるので、この苦手という感覚は未だに消えずにおります。

無駄な工数しか産まない義理チョコとお返しの業務

高校は高専というほぼ男子しかいない学校だったので大変平和でした。大学もまあ、あまり関係なく過ごしてたので対して気にはならなかったですが、就職することで生じる「義理チョコ」というイベントがまたバレンタインを私に想起させてくれました。

なんなんでしょう、義理チョコ。

これを用意される女性の方には、大変有り難い気持ちを感じつつも、わざわざ商品を選んだりする無駄な時間をかけさせてしまい、大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。

またホワイトデーのための、そのお返しを考える時間も不利益極まりないものです。(いただいた感謝の気持ちは忘れておりません。)

我々は社会をより良くするための歯車でしかないのに、チョコレートや返礼品選定のためにかける時間はどこにも無いのです。

今年は、私の会社では女性の方がチョコを配られなかったようです。これは大変勇気ある、素晴らしい行動だと思います。

これがもっと多くの日本企業に広がることを願ってやみません。

早くこのスパイラルに終止符を

今日、小学生の私の息子も今日帰ってきて、他にたくさんチョコを貰っている子がいる中、「絶望だったわ」と言って帰ってきたそうです。

もうこの負のスパイラルが、まだ小学2年のの子供世代でも起きていることに驚愕しました。涙が止まりません。(冗談です。)

早くお母さんからしかチョコが貰えない子供たちが何とも言えない気持ちにならない世界になることを祈っています。

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