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逆ギレについて思う事

世の中で最も厄介なものは「手前勝手に因縁をつけてくる事」以上に「逆ギレされる事」だと私は勝手に思っているのだが、今回はこの最も厄介な「逆ギレ」に対して少しだけ深掘りしてみたい。

「逆ギレ」について考えてみる切っ掛けは、言わずもがな身近での経験からだが、翻ってみて私自身が「逆ギレ」をしないのか?と自問してみると、絶対無いとは言いきれない。
故に拙いながらも「逆ギレ」の本質に少しでも近付きつつ、客観視する事でそれを抑制出来るのではないかという淡い期待を込めて、例によって駄文を連ねてみたいと思う。

1 逆ギレの本質

「逆ギレ」の意味を再確認してみると

自己に責められるべき非、過失があることを指摘、追及しようとする者を撥ねつけようと、または寄せ付けまいと図って(反省、謝罪の態度を取らずに逆に)怒り出すこと、または怒りの雰囲気を漂わせること。

『Wikipedia』

と書いてある。

要するに「逆ギレ」する人は、まずは素直に謝るべき事を最大の恥と認識して少しでも自分の言い分を通したい衝動に駆られる人だと思うのだが、それは同時に自分に対して過剰なまでの被害者意識が働いている事も考えられるのではないかと思う。

今まで見てきた「逆ギレ」しやすい人達の共通する部分として、その心の中に渦巻く「なんで何時も自分ばかり言われるのだろうか?」という恒常的に沸き起こる憤懣の念を抱えて懊悩している姿を垣間見る。

勿論その姿を実際見た訳ではなく、あくまで推察なのだが、被害者意識が強い傾向にある人と話していると圧倒的に他者が稀代の悪者として登場する。
その話の中に存在する自己(話し手)は当然の如く悲劇の主人公になるのだが、話しを聞く限りに置いて懐疑的に見える事も少なくない。

そう感じた時に「こうすれば良かったのではないか?」と聞いてみたりもするのだが、大体に置いて余り納得せずに言い訳をしてくる事が多い。
結局、現場を直接見ていない話だから証明しようも無く、話も有耶無耶になってしまうのがオチである。
(円滑なコミュニケーションを図るのならば、相手の話の腰を折らずに黙って聞いていれば済む話であるのだが、私も偏屈なので思わず聞いてしまう。反省すべき事ではあるのだが)


繰り返しになるが、「逆ギレ」しやすい人は常に過剰なまでの被害者意識を抱えて生きている為に、絶えず他者からの抑圧に過剰に反応して憤懣の念を抱く事になる。

自身の抱える憤懣を解消する為に取るべき手段が「逆ギレ」だとしたら、それはその人にとっては正に茨の道を選択している。
その人が「逆ギレ」するという事は、瞬間的にでもその人にとって正当性を帯びた行為であると判断するからなのだろうが、言わずもがな周囲からの反応は非常に冷やかなものである。

故に「逆ギレ」した人は自身の抱える憤懣の解消に躍起になるも、その後に残る周囲の反応に対しては軽視しがちである。
だが、違和感を持った周囲からの反応は真綿で首を締める様に「逆ギレ」した人を苦しめてゆく。

過剰なまでに被害者意識を持つ人がその反応を見過ごす訳もなく、又も新たに憤懣の念を抱き懊悩する。
「逆ギレ」が常態化している人は、この負のスパイラルの中で永遠に苦しみ続ける事になるのではないかと思うが、逆を言えば負のスパイラルで懊悩している自分自身を客観視する事が出来れば「逆ギレ」の常態化から抜け出せるかも知れない。

2 逆ギレへの対処

「逆ギレ」発動の根本原因は過剰なまでの被害者意識である事を鑑みると、相手に対する言い方も問題になってくるかも知れない。
だが、相手に然るべき事を言いつつも「逆ギレ」を発動させない様にするのは至難の技と言っても良い。

ならば「逆ギレ」にはどう対処するのか?

「逆ギレ」は己の無知と幼稚さを手っ取り早く周囲に表現する行為だと思っているので、決して相手と同じように怒らない事が肝要であると思う。

「逆ギレ」に対して自らが怒るという事は相手のレベルに引き下げられる事と同意である。
故に「逆ギレ」されても理路整然と諭す事を心掛ける冷静な判断が求められる。
(書いてはみたものの、非常に難しい事である)

或いは、そういう人間には全く関わらないという荒療治もあるが、それはそれでその人の中にある過剰な被害者意識に反応してしまうので得策とは言えない。

結論、「逆ギレ」の対処は非常に難しいの一言に限るが、「逆ギレ」される方の立場をよく理解すれば、反面教師となって己自身が「逆ギレ」する行為の愚かさを噛み締める事が出来るのでないかと思う。

3 まとめ

以上、取り留めも無くダラダラと思うままに「逆ギレ」について書いてみたが、今の世の中において憤懣の念を全く抱いていない人間など恐らく存在しない。

それは誰しもが「逆ギレ」する可能性がある事になるのだが、己自身が少しでも聞く耳を持っていれば回避出来る事ではないかと思う。
その為には機嫌で物を言う事を習慣的にしている「気分屋」を止める事が肝要である。

「逆ギレ」をしないまでも「気分屋」である人間は私の周りにも少なからず存在するが、そういう人間は「逆ギレ」予備軍と言っても良いかも知れない。

私の好きな言葉の1つに「脚下照顧」があるが、常に自らの足元を見つめて己を見失う事が無い様に心掛ける事が「逆ギレ」や「突発的にキレる」を未然に防止出来るのではないかと思っている。

最後までお読み頂き有り難うございました。 いつも拙い頭で暗中模索し、徒手空拳で書いています。皆様からのご意見・ご感想を頂けると嬉しいです。