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『ミズ・マーベル』/海外ドラマ・マーベル

もしも憧れのヒーローのようなパワーを手に入れたら…? キャプテン・マーベルに憧れを抱くカマラ・カーンは、アベンジャーズオタクの高校生。 学校や家庭では自分の居場所が見つからず、「スーパーパワーさえあれば…」と妄想の世界に浸っている。 しかしある日突然、強大な力を手に入れ、妄想したことが現実に! ヒーローの力さえあれば全てが理想通りになるはず、と思っていたカマラだが、力をコントロールできず次々と問題が起こってしまう。 なぜ、カマラは強大な力を得たのか? カマラの力に隠された謎は、生活を一変させ、やがて世界をも変えていくことになる。 ヒーローである前にごく普通の高校生であるカマラが、家庭や学校、社会で様々な問題に直面し、力に伴う責任に悩みながらもMCUの世界を今後大きく変えるヒーロー、 “ミズ・マーベル”として目覚めていく。

 例によって新キャラクターと新世界観のドラマ。さあ、どうかな……と見たんだけど、これなんか、1話目からすっごい好きだったのよね。どうしてなのかしら……?
 とりあえず、カマラかわいいよね!

・ブルーノが有能かつ、いいやつでとってもいい。彼を含めてカマラのまわりにハンサムガイが3人いるけど、どうなるのかしら。ブルーノがんばって!!!

・少し前に『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』を読んで、パキスタンのことを現代につながる問題として知ったので、そのへん助かった。英国、マジでやりくちがエグい。
 分離独立の時の話もあって、言い方としてまずいし軽いし無知丸出しだけど(まあいつものなんで)、新鮮に感じる。

・ヌールディメンション、ジン、クランデスティンとまたも新しい単語が出てきたね! まあなんせ、ドクター・ストレンジMoMで描かれた、インカージョンの危険性の話ではある……? ヌールディメンジョンとの衝突は、マルチバースの衝突ともちがうのかな……?
 あと、ジンがモロにそんな感じで、いろんな文化圏でいろんな言葉で語られてるけど実は共通の神話というか脅威というか、そういうのがあるって流れなのかな。

・最近、名称を思い出しては忘れちゃう料理、それがビリヤニ。なんでかいつも言葉が出てこなくなって、「あの、スパイシーな炊き込みご飯……なんだっけ……濁点がついたような……」と、たったいまも苦しんだビリヤニ。
 作中、パキスタンに行って現地の若者たちと、ビニール袋に入ったビリヤニの回し食いをするシーンがあるんだけど、すげえ美味そうだったので早いうちに、名前を忘れないうちにビリヤニ食べたい。ビリヤニ。忘れないようにしたい。

・みんなが次々に、身につけるものをくれるのが笑っちゃう。マスクやらベストやらスカーフやらスーツやら。特に母の裁縫技術の高さたるや。その道でやっていけるね!
 でゆか、そもそもバングルも貰いものだし、これはなんか意図的なものなのかしら……。

・ダメージコントロール局がわりとポンコツ気味に描かれてるんだけど、この組織大丈夫なのかな! クランデスティンにあっさり抜け出されたのはまあ、まだ超人相手だから……と思うけど、6話で急に合流するゾーイ! アンド兄! といった一般市民にもいいようにやられていて、笑っちゃった。

・繰り返すけど、どうしてこのドラマに、自分でも不思議なほどに好感をもつのかなあ、と考えてしまう。

 まず、ただもうひたすら若者たちが好ましいという。これほんとおじさんの目線なんだけど、スパイダーマンのピーター・パーカー、ホークアイのケイト・ビショップといった、フェーズ4の作品群の若者たちがすごくいいんだよねえ。カマラ・カーンも何度も失敗するんだけど、明るく立ち上がるので応援したい気持ちになる。
 ……カマラ・"カーン"って、なんか今後関係あるのかな?(いつものアベンジャーズ事典を眺めながら)

 それと各話のエンディングもカッコいいよね。建物や路面にイラストが描かれてるやつ。音楽もあわせていい雰囲気でテンションあがる。

 あと、当たり前っちゃ当たり前なんだけど、彼ら彼女らは自分たちと同じ時代を生きてて、SNSで盛り上がったりパーティでキャッキャするんだよなって。これは身を置かずに外から見てるだけだから、本当のところわからないけども、パキスタンという歴史とイスラム教の文化と現代の感覚が、新鮮かつ親しみを感じる描かれかたをされているのがいいのかも。

 いきなりイングランドフットボールの話をするけど、22-23シーズンは前期と違いかなり苦しい思いをしたリバプールFC(今シーズンつらかったね!)。ここに在籍するエジプト代表のモハメド・サラーにまつわるこんな話がある。

 こちらのツリーにも詳しい。

 欧州サッカーもいろんな問題があるし、なにもかもが手放しで褒められるわけじゃないけども、自分がリバプールファンであることを抜きにして、これは単純にとてもいいことだと思う。

 リバプールFCの例とちがい(まあ、自分はちがってないと思うのだけど)『ミズ・マーベル』はフィクションの世界の物語で、また、特に欧米の映像界隈でさかんに揉めてるカタカナ4文字で反発する向きもあろうけど、それについては以下の引用を振り回して終わりたい。

「もし彼らがここにいなかったら、生活は申し分なくなり、社会は調和を取り戻すだろう」という代わりに、「彼らがここにいようといまいと、社会はつねに - すでに分裂している」と言おう。われわれは、こうして幻想を横断することで、人種差別の人物像は、社会が完全には自らを構成できないという真実を体現しているものであることを、受け入れるだろう。だから他の文を誹謗中傷するかわりに、手をたずさえて、「われわれが、自分たちの道を阻む行き詰まりは、他者の行き詰まりでもあるということを発見するとき、「同じ闘争を共有するという連帯」」を作るべきだ、とジジェクは命じる(TTS:220)。この「共闘」がどのような社会に帰結しえるのかは、他のすべての人と同様にジジェクもよくわかっていないのだが、彼はこれに望みをもちつづけている。

『スラヴォイ・ジジェク』
「なぜ人種差別は常に幻想なのか?」p.187


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