見出し画像

「A HAMLET」三期工事クライマックス三和土施工。

今回の写真は、2023年9月25日の三期工事クライマックス三和土施工の日のものです。

この日を終えて、今、工事の仕上げと裏では募集に向けての準備を進めております。

棟梁から説明を聞きながら、作業開始

三和土施工の日は良かったな。とても良かった。作業、施工とか、イベントやただの現場というよりは行事、祭事、いや、神事に近い感じ。

もちろん、みんなで体を動かすし、アグレッシブな側面やお昼ごはんはみんなでワイワイみたいな部分もあるんだけれど、黙々と作業をしている間は、なんだろう?祈り?に近い状態というのかな。

みんなで楽しむPLAYと土や現場と真摯に向き合うみたいな部分でのPRAYがみんなの中にも共存していたように感じた。

土(粘土と真砂土を混ぜたもの)と石灰とにがりを混ぜる

年齢も性別も職業も違う、普通に生きていたら会う事すらないかもしれない人たちが15人集まってくれて、一日、共に汗を流して、作業が終わったら、酒を飲み交わす。

それを人によっては、たったの一日と言うのかもしれないし、一日もと言うのかわからない。それを人によっては、たったそれだけの事と言うのかもしれないし、そんな経験をと言うのかはわからない。

その一日をそこに来て、体験、体感した人がどう感じたかだ。

棟梁が転圧機で土を均す

まぁ、一日のほとんどが作業中なわけで、各自がゆっくり話をできたわけでもないだろう。

ぱぁーと集まって、ばぁーっと解散。で、また次の日には各自の社会での持ち場に戻る。

でも、なんかわからんけど、何かを共有できた気がするし、言葉を交わすのとは違う、汗を交わしたって表現はきもいけど、一緒に汗を流し、時に繊細に時に豪快に、力を合わせて、ひとつのものを作るというダイナミズムみたいなものは共有、共感できたのではないかと思う。

作業中の束の間のニヤリ

当たり前なんだけど、一日の工程が決まっているわけで、否が応でも、日の傾きを意識しながら、作業をする。

キャンプやアウトドアなんかで一日外にいる時も似たように、日の傾きを感じれられるよね。

でも、アウトドアのそれとは明らかに異質なものを感じる。

僕は現場を工事現場ではなく、人が生きている場所としての現場と思いながら、現場と書いている。

人が生きている場所って当たり前だろ、全部の場所がそうだろって話なんだろうけど、キャンプと現場の一日とではまったく質が違う。

肉体労働

誤解を恐れずに、嫌な書き方をすると、キャンプはごっこに近い感じ、便利過ぎる文明から離れた生き物ごっこ。こんな書き方したけど、大丈夫、僕もキャンプ行く人。

現場はより生きるに近い場所のような気がする。生き物としての人間の生きる場所。

そもそも、みんなで家を作るって行為自体がおそらくそうじゃないかな?言い方を変えれば、みんなで巣を作る。ほら、一気に生き物っぽくなったでしょ?

2トップが土を均す

朝一番、コアメンバー的な人たちで下準備をして、9時、棟梁から三和土をする事の意図、意味や意義なんかがみんなに共有される。

その後、みんな各自が立てる持ち場で、土(粘土と真砂土を混ぜたもの)と石灰とにがりを混ぜたものを建物内に運び込み、整えた後に、みんな靴を脱ぎ、素足で土を踏み、土を叩く。叩きに叩く。少し前まで腰が痛かったぜ。

気候や天候によって、微妙に水分量を変える。土が運び込まれた室内から、声が響く。もうちょい水多め、今、完璧、など。

もちろん、ある程度の決められたものはあるけれど、寸分狂わぬレシピなんてない。気候、天候、気温、湿度、すなわち自然との付き合いみたいな話だから、毎度毎度決められた正解なんてない。

棟梁を筆頭にして、うん、良さそうだ、とかいう今まで磨いてきた各自の肌感を手掛かりにゴールを手繰り寄せる。

それしかないんじゃないかな?

そうやって、毎回毎回その時の最善だろうと思う選択肢をチョイスしていく。試行錯誤を繰り返しながら。

動かぬ答えや方程式のように問題の解き方があるわけでもない。結果なんてわからない事の方が多いじゃない?

みんなで叩く

今は三和土の話だけど、これって、庭や植栽、設計、建築、施工、発信、まち、プロジェクト、ひと、すべてに言える事なんじゃないのかな。

いろんな選択肢の中から、ここに関わるみんながセオリーや規定概念に引っ張られる事なく、このまちになるべく合った選択肢を選ぶ。

それぞれが最善を尽くして、試行錯誤をし続ける。

だから、無責任な感じに取らないでほしいんだけど、ここを借りてくれる人も最善を尽くして、試行錯誤して欲しいんだ。それを楽しめる人に来て欲しい。

棟梁と施主も束の間の休息

結果が担保されているところなんて面白くないじゃない?

もし、仮にやる前から結果がわかっているという事はそのやり方を前に誰かがやったって事だろうな。誰かが先にそこを歩いた。そこを辿って歩いて何が面白い?

もし、今、選びたい価値観の選択肢がないんだとしたら、みんなで作れば良いじゃないか。

それは何も僕らプロジェクトチームだけを指すのではない。ここを借りてくれる人たちにも言える事だ。

みんなが今という地点で満足せずに、未来に向けて、一歩踏み出せば良い。
ここに集うみんなで、みんなの今まで磨いてきた各自の肌感を手掛かりに、見たい未来を手繰り寄せるんだ。

みんなでやれて良かった

photo by manami nishita

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?