見出し画像

本を読むことは偉いという錯覚

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

先日Noteの記事をいくつか読んでいる間に、興味深い記事を見つけた。

子供の頃に「本ばかり読んでないで勉強しなさい」と親に叱られたくれないゆきさん、大人たちに「本を読んで偉い」と言われることに対して感じた違和について記したエッセイである。

私は子供の頃はそこまで本の虫ではなかったこともあり、流石に本ばかり読んでないで勉強しなさいとは言われなかった。むしろ、放任主義であったため、勉強しろとも言われなかった気もする。

だが大人になった今では、年配の上司からは「本を読んで偉い!」と言われることがある。

個人的には、本を読むことは偉いことでも、凄いことでもない。数ある趣味の中からたまたま本が選ばれただけのことである。

むしろゲームやスポーツが上手いことのほうが個人的は凄いと思う。読書以外の趣味は見せられるものがあるが、読書というものは別に見せるものがない。強いて言えば、蔵書くらいだが。

そもそも、本を読んでいることが偉いというのは、どのような背景があるのだろうか。

会社のお偉いさんの中には、取引先やそのまた上司の影響があって、本を読み始めたと語る方も少なくない。つまり本を読む人は後々偉くなるという認識が強いのかもしれない。

出世や独立のために沢山本を読むのであるならば、それは後々見せられるものになる可能性がある。

また、勧められた本を読むこと=誠意や熱意があると受け取ってもらえる。上長からあの本を読んだかと聞かれた時に、読了したかしていないかの差は大きい。

まぁ本を読んで偉いと言われて、私自身何か損することはない。しかも小説を読んでいるだけで、内申点が上がるのであれば、めっけもんでもある。

しかし、私はただ娯楽のために本を読んでいるほうが多い。疲れたから小説を読む、他に時間の使い方がわからないから本を読んでいる。

そもそもそこまで出世欲もない。読書会の主催としてちょこっと尊敬されているが、いまはそれで充分である。むしろ読書会があるから、会社で出世しようという気概が少ない可能性もある。

個人の見解ではあるが、本を読むことは偉いことでもなんでもない。謙遜とかそういうのではなく、他に凄いことしている人は沢山いるよと思うだけである。

だが少しづつ、私の周りでも読書熱が増しているそうだ。先日も会社の先輩からおすすめの本の話や、会社で借りた本の履歴に私の名前があったなど、本を読んでみようという流れが徐々にできているっぽい。

ひとつ言えるとしたら、今まで全然本を読まなかった人が、本を読むようになったら凄いと思う。月1冊しか読めなかった人が、月2冊読めるようになるのもまた、凄いことである。前月比200%アップは凄い。

でもそれは、サッカーに興味なかった人が、急にフットサルを始めたときのような、挑戦すること自体の素晴らしさである。新しいことに挑戦したから、偉いと言っても過言ではないのだと思う。

本を読むことを偉いと言うのであるならば、もっと様々なことに偉いと言ってもいいはずだ。ゲームして偉い、スポーツして偉い。そうすれば、読書に対するハードルも下がるのではないだろうか。それではまた次回!

今日もお読みいただきありがとうございました。いただいたサポートは、東京読書倶楽部の運営費に使わせていただきます。