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地道に、書き続けること。

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

先日はじめて東京読書倶楽部の読書会にいらっしゃった方から、以前から川口さんのNoteを拝見していました!と伺った(Noteの通りの人でしたと)。

つい先月も、NoteからInstagramを経由して直接参加表明を頂いたり、リピーター様からも楽しく読ませております♪と連絡を頂いたりする。

少しずつではあるが、Noteからも集客ができているなと思う。毎日コツコツ書き続けたことが、自称読書家というブランディング(?)と、東京読書倶楽部への集客に繋がっていると信じたい。

これだけ毎日書いていると、知り合いから今日で継続何日目?と聞かれる。もはや毎日執筆することが当たり前になったため、細かい数字までカウントしなくなった。大体250日目くらいですねと。

改めて、何でこんなに書き続けられたのかなと考えた。

振り返ってみて思ったのは、主に3つある。

  • 書いた記事が残る

  • 自分が読みたいことを書いている

  • 誰かに読まれている(届いている)

私は自分が書いた記事を読むのが好き。この時期はこんなことで悩んでいたなとか、こんなこともあったなと、記事があれば思い出すきっかけになる。

最近は忙しくてやらなくなってしまったが、社会人なりたての頃は、新潮社発行の「マイブック」を購入して、毎日日記をしたためていた。

Noteの継続が100日間近の頃、田中泰延さんの「読みたいことを、書けばいい。」ダイヤモンド社を読み、自分が読みたいと思うことを書き続けた。

だから報連相とか、日々の振り返りとかは、大事ではあるけれども苦手である。だって読み返したくないもの。

また、不健全かもしれないが、書いたからには読んで"もらいたい"という気持ちはある。自分のために書くと言っておきながら、やはり誰かに読んで"ほしい"という思いがある。

継続何日とかあまり気にしなくなったのも、その辺りの要因が大きい。習慣を身につけたいからというより、誰かに言葉を届けたいからという想いの方が強くなった。

宛先不明の言葉や文章は、誰のために書いているのだと思ってしまう(とは言え、ライフハックとかタメになる話は全然書かないのだけれども)。

つまるところ、自己満足のために言葉を紡ぐことができない。最初はそれぐらい軽い気持ちであったが、いつの日かスキを貰うために記事を書き続けている自分もいる。

"くれくれ病"に気をつけようという話を聞いた。人間欲しがると、際限なく求めてしまう。求めていたものがもらえないと、何でくれないんだと八つ当たりすると。

でもそれって悪いことなのだろうか。

無論、イイねや再生数欲しさに、炎上を狙った過激な記事や動画をアップするのは、一時的には良くても、長続きしないだろう(そもそも炎上を狙った記事って何?)。

私の拙い記事を読んでいただき、面白かった、本を読みたくなりました、時にはまた変なものを見つけましたねと、私の言葉が誰かに届いてることが、何よりも嬉しい。

だからもっと面白い記事を書こう、自分でもより良いと思えるような言葉を綴ろうと思うのは、不健全なのだろうか。

書き続けたことでライターになれた。読書会への集客ができた。書き続けた先にきっと何かあるという想いが、執筆へのモチベーションにつながる。

まあ、地道にコツコツと書くのが性に合っていただけかもしれない。少なくとも、これからも毎日書く。寝落ちしない限り。それではまた次回!

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