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"しなやか"と"したたか"

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

先日見た日能研の電車広告に、またまた気になるものがあり思わず二度見してしまった次第。淑徳与野中学校の入試試験にて、下記の問題が出題されたそうだ。


見るからに強そうなものがものが強いとは限らない。柔らかく見えるものが強いことがあるかもしれないのである。(ファーブルの)植物記の中で、ヨシとカシの物語が出てくる。
ヨシは水辺に生える細い草である。ヨシは突風に倒れそうになったカシの木にこう語りかける。カシはいかにも立派そうな大木だ。しかし、ヨシはカシに向かってこう語りかける。
「私はあなたほど風が怖くない。折れないように身をかがめるからね」

稲垣栄洋「植物はなぜ動かないのか」より一部改変して抜粋

世の中には「柔らかく見えるものが強い」ことがよくある。これにあてはまる具体例を自分で考え、「見るからに強そうなもの」と「柔らかく見えるもの」の両方をあげながら説明しなさい。

※ 具体例は、生物、人間、物、社会、どんな例でもかまいません。


柔らかく見えるものが強い。その電車広告を見たときは、そう言えば石川五ェ門の斬鉄剣はこんにゃくを切れないんだったけかと思い出した。でもこれじゃ流石に点数を貰えないだろう。

「見るからに強そうなもの」ってのも、意外と思いつかないものである。

バキに出てくる範馬勇次郎や花山薫あたりは見るからに強そうっているか、どう考えても強い者ばかり思いついてしまう。

じゃあ「柔らかく見えるもの」は渋川剛気か!って答えたら、また点数貰えないだろう。恐らく範馬勇次郎の方が強いだろうし。

真面目に答えるとしたら、周りの意見をしっかり聞いてくれる人の方が、自分の意見をはっきり言う人よりも周りから賛同を得られると思う。

読書会であっても、主催者が自分の知識や経歴を誇ったり、何でも知っている風に振る舞ったりしているよりかは、紹介者の話を親身に聞いてくれる人のほうが個人的には好き。

話が変わってしまうが、しなやかに生きるためには何かしら軸が必要である。

脊椎を損傷すると人体に大きな影響を与えるように、生きるためには何かしら目標や理念のような、軸となるものが必要である。

大人になると、どんな人にも弱いところがあることをなんとなく理解している。誰しも、学生時代の恥ずかしい思い出の一つや二つ持っているだろうし、見せたくないものを抱えて生きている。

読書会に参加した方から、会社のトップセールスマンであった男性からクルベウさんの「大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをした」を勧められて、感慨深かったという話を聞いた。

心が折れた時に、なんのこれしきと立ち上がる強かさ。一見すると、大胆不敵な強さのように思えるけれども、人知れず涙を流すようなこともあったのかもしれない。

でも軸がなければ、そもまま崩れ落ちてしまう。進むにしても、辞めるにしても、勇気が必要だ。

その軸がなくなった瞬間、陸地で溺れることになる。その気持ちは、少しは分かる。

思考回路も同じ。意地っ張りでいるよりかは、柔軟に考えを変えられる方が良いという考え方もある。

安定した仕事を続けるか、思い切って転職してみるか。どっちが正解とは限らないし、あまり柔軟すぎてもただのジョブホッピングになりかねない。

でも何かしら、自分はこうなりたいんだという軸を持っている人間は強い。

誰がなんと言おうと、自分の信念や目標を達成するんだと決めている人は、どんな逆境にも立ち向かえるだろう。

西尾維新の猫物語(白)の新聞広告ではないが、猫のようにしなやかに、人のようにしたたかに、悩み、戦うからこそ、人間なのだ。

設問の注意書きにもある通り、人間以外にも生物や物、はたまた社会で回答してもいいらしい。他の人ならどう考えるか、気になるところである。それではまた次回!

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