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八雲の妻セツ~出雲のご縁は摩訶不思議

小泉八雲沼にハマれば、奥さまの「セツ」小泉節子さんに目を向けずにはいられないでしょう。 

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と、「ツインレイ」(魂の片割れ)と感じてしまうほどの、運命の出会い。

この小猫はその年の春未だ寒さの身にしむ頃の事でした、ある夕方、私が軒端に立って、湖の夕方の景色を眺めていますと、直ぐ下の渚で四五人のいたずら子供が、小さい猫の児を水に沈めては上げ、上げては沈めして苛めて居るのです。私は子供達に、御詫をして宅につれて帰りまして、その話を致しますと『おゝ可哀相の小猫むごい子供ですね――』と云いながら、そのびっしょり濡れてぶるぶるふるえて居るのを、そのまま自分の懐に入れて暖めてやるのです。その時私は大層感心致しました。
こんなシーンがドラマにあったら、キュンキュンしませんか!?
『思い出の記』小泉節子(青空文庫)より

セツは、時代が大きく変容する幕末、慶応4年(1868)2月4日に松江藩の上級士族小泉湊の家に生まれました。その年には、明治維新という時代背景。小泉家と稲垣家との約束で、セツは稲垣家の「お嬢」と呼ばれ養女として大切に育てられます。

小泉八雲の妻(長谷川洋一著)』には、明治に切り替わってからの松江藩士族の零落について書かれています。時代が変わらなければ「お嬢様」であったセツは明治維新の荒波にもまれていき、機織りで家族を養う苦しい生活となっていきます。

養母であるトミがセツに聞かせたのは、出雲の神々や、霊の話、魂の話や祈祷のことなど。また、狐や狸が人を化かす話などだったそうです。後に、小泉八雲の文章のソースとなる、語り部としての存在になろうとは、運命の不思議さを感じますね。

はじめは人の縁で紹介された、「身の回りをお世話するお手伝いさん」としての出会いだったといわれています。凛とした士族らしさと、家族への思いやりをセツに感じたのかもしれません。

ただし、当時の世論は厳しかったようで、没落した士族の女性が、外国人の愛人となることも珍しくない中、セツの心を傷つける言葉もあったのかもしれません。それを覚悟して、思い切った行動を選択するという胆力もあったのでしょうか。

小泉八雲旧居跡にて詠みました

ツインレイという言葉を使ってしまいましたが、小泉八雲の誕生日が公称1850年6月27日、小泉セツの誕生日が1868年2月4日。数秘で見ると、お二人とも「11」なのですね。直感タイプ同士の相性は最高と出ています。

ちなみに私も、数秘11なのです(笑)。お友達になっていたら、楽しかっただろうな!

https://rensa.jp.net/numerology

ここまで読んでくださりありがとう💕





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