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代数的整数が環をなすことの証明

代数的整数とは、最高次係数が 1である整数係数多項式の根と なるような数のことです。 言い換えると、次のような形の 多項式の根です。 ① x^n+a1・x^(n-1)+ a2・x^(n-2)+・・・+an (ai∈Z,1≦ i ≦n) たとえば√2はx^2-2の根なので 代数的整数です。 1+√3もx^2-2x-2の根なので 代数的整数ですが、1/2は 代数的整数ではありません。 代数的整数の全体は環をなすことが 知られています。 すなわち、α,βが代数的整数なら

    • 対称式の基本定理

      n個の変数 x1,x2,・・・,xn についての多項式 F(x1,x2,・・・,xn) が次の性質を満たすとき、 対称式であると言います。 性質:代入する値 x1,x2,・・・,xn の順序を入れ替えても、 Fの形が変わらない。 言い換えると、 n次対称群Snの元 (すなわち置換)σを任意に とったとき、 F(xσ1,xσ2,・・・,xσn) =F(x1,x2,・・・,xn) となるようなFが対称式です。 たとえば2変数の場合なら F(x,y)=F(y,x) となるよ

      • フェルマーの最終定理の確率解析

        フェルマーの最終定理(FLT)は 次のような命題です。 「nを3以上の自然数とするとき、 整数x,y,zが x^n+y^n=z^n を満たすならばxyz=0である」 言い換えれば、 いずれも0でない整数x,y,zで、 上の式を満たすものは 存在しないということです。 nが大きければ感覚的にもそうした 例がなかなか存在しないだろうと 予想されますが、小さい値なら 反例(すなわち非自明な整数解)が あっても不思議はなさそうに思えます。 確率的にはどうなのか。 まず、方程式

        • 整数解の数

          0<y≦Nを満たす数yを 適当に選んだとき、y周辺の数が 平方数である確率(割合)は 1/2√yの程度になります。 平方数yは y=x^2(=f(x)) と表されます。 f´(x)=2x なので、yの周辺では平方数の 間隔が2x=2√yの程度に 開いています。 このことからy周辺の数が 平方数である割合は1/2√yの 程度であることがわかります。 これを確率モデルとして考えると 0<y≦Nの範囲にある 平方数yの数は ① Σ1/2√y (1≦y≦N) の程度であると期待さ

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          無限につながる魂

          私たちは有限の存在です。 しかしその有限はきっと、無限なる何かにつながっています。 これはエネルギーのようなものです。 物が動くと運動エネルギーが生じます。 軽いものがゆっくり動くとき、そのエネルギーは小さいように見えます。 しかし相対性理論によると、物は存在しているだけで莫大なエネルギーを持っていて、 動くとそのエネルギーのゆらぎが表れてくる。 このゆらぎが運動エネルギーとして見えてきます。 それは氷山の一角にすぎません。 本当のエネルギーは莫大なのです。 私たちもまた

          無限につながる魂

          類体論 ―― 『代数的整数論』(河田敬義)の補足2

          今回は5・1・2節(p72)です。 まず、次の命題を考えてみます。(原文ではa,AがそれぞれA,太字のAとなっています。すなわちa→A,A→太字のAです)    ***** n:正整数 E:1のn乗根の集合 k:標数0の体で、Eの元をすべて含むもの(すなわちE⊂k) K/k:(有限次とは限らない)ガロア拡大 G:K/kのガロア群。Gはアーベル群で、任意の元σ(∈G)がσ^n=1を満たす A: K×の部分群で、 ① A={a∈K×|a^n∈k×} さらにa∈

          類体論 ―― 『代数的整数論』(河田敬義)の補足2

          類体論 ――『代数的整数論』(河田敬義)の補足

          類体論の証明本、『代数的整数論』(河田敬義)の分かりにくいところなどを補足していこうと思います。 今回は5章の定理5・1の証明(p71~72)です。 分かりにくいのは次の命題です。    ***** K/kを有限次ガロア拡大,そのガロア群をGとおく。 [K:k]=n(≧2)とすると ① K=ω1・k⊕ω2・k⊕……⊕ωn・k (ωi∈K) となるような {ωi} がとれる。その上で、 n次正方行列A=(Aiτ)をAiτ=τ(ωi) (τ∈G)により定義する。

          類体論 ――『代数的整数論』(河田敬義)の補足

          対話篇2

          (承前) Pは虚空に次のような文章を出現させた。 [[源の実在]Sに、無限個の[属性]が伴っている。各[属性]はそれぞれがオンリーワンの[独自性]を具えている。 また、各[属性]は[表現]を持っている。その[表現]がそれぞれの『自分』の、それぞれの『今』である。 すべての[表現]は[永遠の実在]であり、どの『自分』、どの『今』も常に存在し、消えることはない。 各[表現]の特質がそれぞれの『自分・今』として[現れて]いる。 そして各[属性]の持つオンリーワンの[独自

          対話篇2

          コギト・エルゴ・スムを疑う対話篇

          量子的揺らぎによって対発生した電子Eと陽電子Pの対話篇 E: おお、目覚めだ。世界が見える。 P: 量子場の海から飛び出し、ようやく存在の世界にデビューだな。 E: 海にいるときはすべてを知っていたような気がするが、今はかすかな記憶の影がゆらめくのみだ。 P: そもそもこの世界は本物なのか。あの海こそが実在だったのではないか。 E: 記憶の影の中に、デカルトという哲学者の情報が残っているぞ。彼はすべてを疑おうとした。そして疑い得ぬ真理、「コギト・エルゴ・スム」に達し

          コギト・エルゴ・スムを疑う対話篇

          無理辺五角形の分割不可能性

          ずいぶん久しぶりの投稿になりました。 とりあえず、前回の問題の答えです。 答え: 存在しません。 証明は以下の動画にあります。(14:50あたりからです) そろそろ街もクリスマスモードになってきました。 例年はハロウィンが終わるとすぐにクリスマスソングが流れてくるぐらいでしたが、今年はコロナのこともあってか、11月下旬になってようやくシーズン到来という感じですね。 こちらのブログもまた、ぼちぼち再開していこうと思います。 ではでは。

          無理辺五角形の分割不可能性

          無理辺五角形の分割

          問題 すべての辺長が有理数であるようなn角形を有理辺n角形,また無理数長の辺を含むn角形を無理辺n角形と呼ぶことにします。 (凸とは限らない)無理辺五角形で、有限個の有理辺三角形に分割できるものは存在するでしょうか。

          無理辺五角形の分割

          謎な自由意志論

          思い立って、カントの『実践理性批判』なる本を読んでいるのですが、そこに書かれている自由意志論がなかなかに謎ですw 当時は決定論的世界観が広まっていたこともあって、カントもすべてが自然の摂理(法則)によって決定している世界を想定しています。 にも関わらず私たちは自由である、とカントは言います。 一般的な意味での自由意志とは非決定な世界の中で、主体的に道を選んでいくことですが、これだと決定論とは相いれません。 ということは、カントは普通とは違った意味での「自由」を考えてい

          謎な自由意志論

          フィクションを信じられること

          仮に経済的に困窮し、あわや一家離散かというほど貧しい家庭があったとします。 幸運にもいろいろな人たちが援助してくれて、この苦境を乗り切ることができたなら、彼らは貧しくてもなんとかなるという人生観をもって生きていけるのではないかと思います。 あるいは、家族愛は貧しさに負けないという信念が得られるかもしれません。 実のところ、周囲の人たちの手助けがなければ本当に離散してしまった可能性もあります。 その場合には、家族愛も貧困には勝てないというシビアな人生観へとつながることで

          フィクションを信じられること

          ほんとは大人も答えを知らない

          世の中にはさまざまな不公平や矛盾があるものです。 多くの若者はそうした理不尽や矛盾に直面し、悩み苦しみます。 中には命を絶つ人も。 人生半ばを過ぎた人は言います。 そんなに死に急がなくてもいいのにねえ。この年になればわかるんだから、と。 幸いにも私は今日の日まで生き延びてきましたが、矛盾に悩むことは幾度となくありました。 御多分にもれずというべきか、そのうちわかるよ、と言う人たちはいました。 当時の彼らより年長になった今、私ならこう言います。 まあまあ。わかっ

          ほんとは大人も答えを知らない

          和して同ぜず、が通用しないとき

          和して同ぜず、という言葉があります。 出典は論語・子路篇で、「人と協調しつつも、安易に妥協したり同調したりはしないこと」を意味します。 確かにいいことを言っているなと思います。 しかし一方で、いつもその方針が成り立つとは限らない、とも思います。 たとえばクラス全体で誰かをいじめていて、それに異を唱えたらみんなと「和する」ことはできない。 逆にみんなと協調しようと思ったらいじめを黙認するしかない。そういう状況もあり得ると思います。 こういう場合、和して同ぜず、は通用

          和して同ぜず、が通用しないとき

          カミングアウト圧について

          人が何か、あまり公にしたくない属性なり秘密なりをもっているとするじゃないですか。 そういうのをあえて公にするのがいわゆるカミングアウトってやつで、これはもちろんリスクもあるし、その分注目もされる。 同じ問題を抱えている人達にとっては心強いことだし、とても意義のあることだと思う。 だから、それをやった人はえらいという風に見られる。 というか、実際えらいと思う。 でも、そうなると逆にカミングアウトしないのはえらくない、という暗黙の圧力がそこはかとなく漂ってくる。 いや

          カミングアウト圧について