我が国の連中ども、他人にするいやがらせを思いつかせたら世界一だなと思う

 講義中に私の父や母に触れることがあった。もう両方とも亡くなっているが、亡くなっていることを先に伝えると若い彼ら彼女らはそこそこの笑って流せる他愛もない話なのだけど、どんな顔をして聴いていたらいいのかわからんようだ。たしかに私も子ども時代学生時代、師のその手の話の時にどんな顔をして聴いてたらいいのか非常に困った記憶がある。だからその手の話をする最初に「これはもう私の中で腑に落とし込んである話なので気にせず聴いているがよい」と申し伝えた。「本人がそういうなら」ということで、学生らも特に気にすることなく反応できたのだと思う。

 そうじゃないレベルの話は誰にもしてない今後もするつもりもないだれが他人になど伝えるものか、私だけの知ってる重要な部分だ。私の意識がこの世からなくなったと同時にその内容もこの世からきれいさっぱり消えるが全く構わない。もったいなくて伝える気にもならん。

 公園その他にあるいやがらせの椅子やベンチをみながら、我が国の連中ども、ああ、それは私が大嫌いな連中9割ぐらいで構成されているのだけど、あいつら、他人にするいやがらせを思いつかせたら世界一だなと心底思うが、もしあそこを使わざるを得なくなった時のために、地べたにそのまま座ってやろう訓練でもはじめようかと思った。東京の舗装された地べたは汚かったのう。数十年前から汚かったので、いまはもっと汚いんだろう、しかもネズミもゴキブリもいるしな。地べたには直接座りたくない。アルミ銀色の極厚の一人用寝袋シートでも次回見かけたら買おうと思うたのだけど、家の中のどこかにすでにある。その嫌がらせの椅子やベンチの前で寝転がってやろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?