「ちょっとお父さん!だらだら歩かないで!そっちにいってももう魚しかないから」

 刺身にしたイカの内臓を父は塩漬けにしたり、その内臓で塩辛を作ったりしていた。父は全くお酒を飲まない。食べ物の好き嫌いが結構あって、その中には食わず嫌いも結構あって、たしか五十年以上そんなもの絶対食うてない私の観測範囲でみたこともない、いやさ父は所謂肉を食べない、この肉は肉団子からひき肉そぼろからステーキその他に至るまでまるで食べない。私ら兄弟姉妹の皿にはハンバーグがあったり鶏唐揚げがあったりするのに、父だけ焼き魚だったり煮魚だったりしていた。母は本当にめんどくさい食事準備だっただろうに。たぶん子どもは焼き魚煮魚を食わないのだ若い人らもあんまり食べないのだ、確かそんなツイートしたな探してこよう……

 驚いたのでその日に書いたのだ。この家で魚が出ることはないのだ。きっと食べたとしても刺身か寿司か鮭のおにぎりみたいなフレークかツナ缶くらいだろう容易に想像できる。

 着地点を見失うところだった。子どもだった私もそんなに魚を食うていない。父に連れられて磯釣りにいってカレイを山ほど釣ってきても私はそんなに美味しいものと思ってなかった(今は美味しいと思う)。冒頭のイカの内臓の塩漬けも父はうまそうに食うていたが、なんかどろどろしたキモいものと私も食わず嫌いで食わなかった。後年、こんな美味いものだったのかと気づいた。十数年は作っていた食べていた。売られている瓶詰の塩辛はきっと口の中に二回か三回くらい入れたと思う。だいたい十年おきくらいに「どんな味だっけ」で確認し「うわ、やっぱり不味い」を再確認する。よその家に呼ばれて出されたら食う。食べないのは失礼だから。もう誰かの家に呼ばれることもないのと、基本昔から他人の家に呼ばれて食事をするのが苦手なのだ。欧米映画でよく職場の知人友人その他を家に招いて食事をするシーンがあるが「うわもうこの文化の敷き詰められた国で私は生活できないわ」と思っていた。なんの話だっけ、そうだイカの話だ。

 吉本隆明『心的現象論序説』中に、
「武士といつても今は兵隊もからつきし駄目になってしまいましたね。アメリカから偉い大将がやってきて、あの何といいましたつけ、そうそうマッカーサーマッカーサー。マッカーサーや松かさやときますね。松かさといえば私は昔松葉酒をのみましたよ」
というある病の方の言語感覚を引用したところがある私はそこだけお気に入りなのだけど、私の書いてる内容がマッカーサーや松かさやみたいになってる。イカの話なのに。(つづく

 ほら書き忘れている。父はそんな数十年の魚生活だったくせに、ロシア人との交流が増えた還暦以降は豚の脂身だけの保存食とか脂だらけの粗挽きウインナーとか食うていた。

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