とてつもなく違う方向に神様につれていかれる

 「その道をまっすぐ走ると、右に紅白の目立つ壁の建物があるので、そこを曲がってちょっと行くと我が家」のような目印があったのだけど、その目立つ家は老朽化で代替わりもして解体され更地になり、夜だと景色もよくみえないのでそこが曲がる目印だと私も便利に使っていたそれがなくなってもう十年くらい、曲がらねばならない箇所に近付くとちょっと気を張る緊張する私をこの前発見した。あの紅白はとても便利だった。

 夜は昼間と景色が違うので、普段夜に出歩かない出歩く用事もない夜にそんなに知らん場所まで車に乗って出かけないだって夜だものお目当ての店はもう閉店時間をとうに過ぎている、ということで、遠出の帰りがめったにないその夜間になってしまった時の運転は緊張するもので、帯広帰りあたりになると、道路一本間違えたら、とてつもなく違う方向に神様につれていかれる、そういう時に、方位磁針ってのは持ち歩いておくべきものだなあとか思うし、ああ、これが『月はどっちに出ている』じゃないか、月の出ている間なら大丈夫だが月なんて毎晩出るわけでもない。星を目安に運転とか、大昔の船乗りか、と思うが、これはこの前までの車の話もいろいろ入っている。カーナビや携帯端末が普及してしまった現在、あの映画は成り立たないなあと書きながら思った。帯広~札幌間の曲がり道の間違いは命取りになる。札幌に到着するころなのに到着しないで日高の海の方に向かっていたりする。夜なので気付かない。青の看板は大事なものだ。

 別方向からの目印として、「この接骨院の柱状の看板を右折すれば我が家」という、夜間にこれまた便利な目印があったのだけど、そこは数年前に廃業して、その看板もなくなってしまっていて、こっちは前述の紅白家とか違い、かなり地味目の地形なので、かなり緊張しないと通り過ぎてしまう、そうだな、今日のnoteはこれになるなあ、と思いながらその緊張感を失い、私は曲がらなければならないところを通り過ぎてしまった。月がとっても青くもないのに遠回りして帰ってしまった。

 菅原都々子というとあの歌ばかりを取り上げるが、あれ以外のほうが菅原都々子っぽいのだ。うちにあるSP盤の菅原都々子には「月が~」がない。「月が~」以前のSP盤ばかりある。B面歌手はだいたい真木不二夫、もう誰も知らない取り上げもしない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?