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活動家という破壊者たち 感謝が俯瞰を生む

人間というものは神様ではないので、能力が限られている。

だから仕方が無いのか、とも思う。

けれど、いくらなんでも、とも思う。

余りにも視野が狭い、自分が思った事だけを全てだと思い込む、

自分の視点からしかものを考えられない、

自分が一番偉いと思ってしまう、自分が一番正しいと思ってしまう。


人生を生きていると時々、人間界で生きるのがイヤになる事が有る。


例えば単純なたとえ話をするとこうなる。

Aという人がBという人に暴言を吐く、するとBが言い返す、

するとAは暴言を吐かれて精神的に傷ついたと言ってBを批難する。

Bは罪人扱いされる。Aは被害者ポジションに立って同情を集める。


社会を見ているとこういう事がとても多く行われている。


イスラエルとパレスチナの問題は長い歴史が有って、

どっちが善でどっちが悪と決めつける事は出来ない。

けれど、10月7日にハマスが何をやったのか。

民間人を攻撃し、数百人を殺し、百人以上の人質を取り、その女性を犯し、

殺してからまた犯し、死体を見せびらかしながらパレードをした。

これに対してイスラエルが人質奪還作戦を行い、ハマスを攻撃している。

結果としてガザの民間人にも被害が出ている。

この状況で、イスラエルはパレスチナを攻撃するな、と一方的に言うのには違和感を覚える。


私は弱者だ、私は被害者だ、私は差別されている、と言って訴訟やデモを起こし、

自分達が正当であると強弁する者たちを見ていても同様に違和感を覚える。

或いは、俺は客だぞ、と店員に威圧的な態度を取る者も居る。

或いは、俺は議員だぞ、と威張り散らしてひんしゅくを買っている者も居る。

俺は学者だぞ、お前たちとは違うんだ俺の言う事が正しいのだと威張り散らす者も居る。

この人達はかわいそうだから助けてあげようと助けていると、だんだん図々しくなって、

もっとああしろこうしろと要求がエスカレートし、

それを断ると今度は弱者を差別している、と被害者ポジションをとる者も居る。

人権とか共生とかを言いながら自分達と違う意見を全否定して抹殺しようとする者も居る。

とにかく視野が狭いのだ。

なぜ俯瞰出来ないのか、、、。

人間は神様ではないから仕方が無いのだろうか、、、。

けれどこれらには、利権や自己目的の為にやる確信犯、

それに騙されている考えの弱い人間、それをサポートする事が利権になっている人間、

サポートする事が善だと勘違いしてしまう人間、などの種類が有る。

これらが特定の人の利益の為だけに行われ、社会全体を見ていない事は、

一例としてLGBTの運動に見られる。

多くの当事者たちがこの運動に辟易している。

我々はそんな事は望んでいないと言っている。

では一体誰の為にやっているのだろうか。

これはもう利権やワガママと言わざるを得ない。

そして一番の特徴は、彼らは常に威圧的暴力的であることだ。


人間は社会の一員であり、他人に世話になって生きている。

苦しんでいるのは特定の人だけではない。みんな色々な事をガマンして生きている。

能力の高い人も居れば低い人も居る。

高い人はある程度は低い人に合わせなくてはならない。

人間は自分の都合だけで生きられるものではない。

社会や先人に感謝の気持ちを持てば、かなり視野を広く持って俯瞰できる様になるのではないだろうか。

自分もそうやってしまう事も有るよな、と思って人を許す事も必要な事だ。

自分にも都合が有るが、相手にも都合が有ると考えるのは大事な事だ。

言っても解らない人は攻撃するのではなくスルーすれば良い。

もう少し視野を広く持って、寛容になれなくてはいけないし、

「人権」とか「環境」とか言われるとひるんでしまうのはもう、

卒業する時期に来ていると思う。

このままではどんどん社会が破壊されてゆく。



















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