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授業を通してあなたの未来に少しだけ関わる私になる

こんにちは、もしくは、はじめまして。たじま ちはるです。
最近の趣味は好きなシモネタのワンフレーズをユーザー辞書に登録して一瞬で表示することです。

このノートでは下記のようなことを語ります。

・環境と生徒さんの特性で授業の流れが変わること
・使い方なのか活かし方なのか
・学び方の癖はその人の未来に続く
・未来の足がかりを作る講義でもいいことに救われた


講師といえども様々な形がある。2箇所の学校の話

私はフリーランスで活動しており、現在2箇所の学校、企業への出向、書籍の執筆、直請けの小規模な仕事を行っています。

今回はスクールのお話を書きます。

1.職能訓練校
・対象 DTPオペレーター志望者向け
・期間 半年周期
・受講者数 40名ほどのクラス
・講師数 (二人体制/私は主にサブ講師)

2.社会人向けスクール
・対象 初めてアプリケーションを触る初心者向け
・期間 3日間(1日あたり3時間)
・受講者数 1〜5名のクラス
・講師数  一人(私のみ)

上記の通り、環境も対象者も違い、進め方も立ち位置も変わります。

アプリケーションを教える授業は「ツールの使い方を教えるもの」と思っていましたが、今は「相手の未来を想像して、少しだけ関わろうとする」ことを意識しています。

そう考えるに至った2つの事例があります。

目的に近づくために、Photoshopの授業で、Photoshopを使うのをやめた。

社会人向けのスクールでは、おおまかなカリキュラムが学校側で決まっています。はじめはツールの使い方を解説していたものの、Photoshopのコースを学びに来る人の「目的」がそれぞれ違うことを知り、できる範囲で教え方を変えることにしました。

初回の授業で学びたいことを伺い、ツールの基本操作の後に個別でカリキュラムを考え、教えることをテスト的に行いました。

・画像加工をしたい人には画像加工の機能や事例を
・絵を書きたい人には絵を書くのに向いたツールを
・バナーを作りたい人にはバナーの授業を...

ところが、Photoshopを使わないで授業をする日が来たのです。
「Photoshopを使うとウェブサイトを作れるようになる。」と、授業を受けに来られた方に、見た目を作るだけではウェブサイトとして公開できない旨を説明し、相談した上で、カリキュラムを作り変えました。

授業最終日(3時間)、一切photoshopを開かず、WIXでウェブサイトを作って公開する方法までをお伝えしました。結果、長文でお礼のレビューをいただいたのですが、

この経験が授業における自分の教え方や考え方について模索するきっかけになりました。


「わたしは未来に活きる、仕事の話をしているのよ」

また、職能訓練校でのできごとです。自分の上司にあたる先生の考え方が大好きなので聞いてください。

「私はここでツールの使い方だけを教えてるんじゃなくて、これから仕事をしていく上で、みんながよりよい時間を過ごせることを考えて話をしているのよ」
「学び方、ミスの仕方、その特性が人にはある。手を動かして覚えれる人、文字や図を見ると理解できる人、耳で聞くのが得意な人もいる。その逆もある。自分が苦手だと思ったとき、どうするか。その時間がこの後も続いていくのよ」

人によってつまづくポイントや、それぞれの癖があります。サブ講師として生徒さんの悩むところや間違いがパターン化して見えたりします。生徒さんごとに癖があるならそこに合わせたサポートをしたり、学び方を見直すきっかけを作れるわけです。

さらに先生は言います。
「使いこなせる基本的な機能を教えているから、困った時には"もっと便利にできないか"自分で考えて質問する。その癖をつけて。不便だと思ったら、そこで疑問を持つことでツールを自分でも今後も学んでいける
質問すること、自分の特性や学び方を知って工夫すること、みんながよりよい今後を過ごすための考え方を学んでほしい」
「難しい機能を教えるときは、今理解できず、ついてこれなくても教えておく。将来困った時に"あんなこと教わったな"って思ってもらえたらいい。そうして役に立てるならいい。そのために資料を用意している」

ここに通うようになって、視野を広くもてるようになったのです。

まとめ:その先のことを考えている

最初はツールの使い方を楽しく学べることを大事にしていたのですが、もっと深いところで人と関わりたいと思うようになりました。デザインが見た目だけではないように、マーケティングが数字だけではないように、授業にもそういった視点を持とうという考えに至るまでの流れでした。

今年の授業も自分なりに工夫をつづけて、良い授業にするぞ!


おまけ:いつかの未来に私は救われる。

人前で話すとき、足がすくむときがあります。なにかダメなところがあると落ち込む。自分で減点をつけてしまう。すべての人が完全に理解できる話は結構難しく、それを望むことで、もしかしたら相手にも何かしらの圧を与えかねないのに、コントロールがうまくいかず...

「難しい機能も、今理解できなくて、ついてこれなくても教えておく。将来困った時に"あんなこと教わったな"って、気づくきっかけになるならいい。」
「この先で困ったときも、自分でやれるところや、学ぶきっかけをもらえたからよかった」
去年聞けたこの言葉に救われています。

わかりやすさと難しい部分が混ざったり同居していていも...そこでわからないと言われても、必ずしも減点ではなく、バランスをとる。
伝わりやすく工夫して行う話と、難しいかもしれないけど伝え続けたいこと、知ってもらうと未来で役に立つ話を判断付けて届ける。

長いその先で、いい形で役に立てるよう関わること。
それを想像したら自分も救われるのです。

仕事が落ち着いたら、ブログを書いたり仕事における考えを見つめていきたいですね。




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