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「察してよ」という暴力

「言わなくても察する」文化について個人的には美しいと思うし、他人のしんどい状況や気持ちを察することができる人を尊敬してもいる。

ただ、こと自分自身のしんどさについては、できるだけ言葉で伝えることにしている。長い付き合いになる相手に対してはなおさらだ。

産後の回復期、眠気やだるさや乳の痛さに耐えながら夕飯を作った時なんかは(出来合いのものを買ってもよかったんだけど外に買いに行く方がしんどかった)、「今日ねー、息子が夜中3回起きちゃって日中もグズグズで寝れなくてきつかったんやけど、踏ん張って美味しいの(自分で言う)作ったよー。」と言ってた。その場で、すぐに、「ありがとう」という言葉を引き出したくて。

もちろんそんなこと言わずとも、今まで普通にできていた「夕飯の準備」を、産後2ヶ月の身体と精神状態で生後2ヶ月の赤子を抱えてこなすことがどんなもんなのかを想像して、「ありがとう」でも「大変だったね」でも言ってくれるかもしれないし、言ってくれればそっちの方が「美しい」と思う。

んだけど、とにかくこちらも普通の状態ではないので、
例え上記を想像して「ありがとう」と言ってくれたとしても「え、この『ありがとう』はたぶんご飯を作ったことに対してで、私がこの極限状態を踏ん張ったことに対して言ってくれたわけではないのでは…」「大変だとは思ってくれてるだろうけど、具体的にどんな事がどれくらい大変なのかはきっと分かってくれてない…」なんて面倒くさいモヤモヤを抱えたり、
もしも欲しい言葉を言ってくれなかった日には「ムキー!どんだけの身体的精神的ダメージを負った状態で立ちっぱなしで料理したと思っとるんじゃい!自分の分くらい自分で作れー!」なんて暴走してしまったり、
でもそのあと「夫も色んなストレスを抱えて仕事頑張ってるのに…」「私の方が夫の気持ちを想像できてないじゃん…」と自己嫌悪に陥ったり、
とにかく「察し」てくれるのを待っていてはあんまり良いことはなさそうなので、花より実をとることにしている。

さらに気持ちにゆとりがない時には、
「今日は(息子が機嫌がいい)朝のうちに夕飯まで準備したよー。私っていい奥さん〜。」と自分で言ったりもする。夫は笑って「ありがとうー」と言っている。

色んなことは置いておいて、弱っているときには、とにかく今この瞬間に「ありがとう」や「頑張ったね」や「すごいね」が欲しい。であれば回り道をせずにそう伝えるし、自分で言っちゃってもいいよねって思う。
「美しさ」は弱ってないときに磨くことにする。

#所生 #文化 #夫婦

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