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【人生をデザインする】

元旦に感じたことを抱負がわりに残しておく。
 ※ 個人的な想いを綴るので誰かへの投稿ではないのでご理解を。

今年の初日の出は6:46。

新浦安の海岸には例年以上に人が押しかけてご来光を眺めていたように思う。去年だったら人混みを見て僅かに三密の不安を感じていたように思うが、今年は感染状況(ギリギリオミクロン前)と分からないという恐怖に1年間晒されたことによりウィルスとの精神的な共存が可能になったのだろうか、ソシャディの確保に誰も神経質にはなっていなかった。平和だ。

その後、特段急ぎの用事もなかったので、「新年の挨拶」の前に大好きなジム(エニタイムフィットネス)に行った。

元旦の早朝なら空いているかな、と思ったけどいつも以上に混んでいて驚いた。「元旦くらいゆっくり寝正月でもすればいいのに」という盛大なブーメランを投げつつも、”初”ベンチプレスに勤しんだ帰り道、アイデアが降りてきた。

ここ1ヶ月くらいずっと頭にこびりついた大事なことが立体化する感覚。

よし!今年の僕の抱負は、人々が「人生をデザインする」ことをサポートするための環境整備の仕事をしようと思った。

突然すぎて意味がわからんが、要するに自分の人生をデザインする、デザインできるようなってきたという時代になってきた!ということをビンビンに感じてしまったのである。

「人生をデザインする」という言葉に至ったのは

「家庭料理」という戦場: 暮らしはデザインできるか?」 著者:久保 明教

という本を何かのポッドキャストで聞いたところから始まる。
本の内容からは少し飛躍するが(というよりだいぶ拡大解釈だが)、例えば魚が切り身で買えるということは魚料理を自宅で食べる=調理するという選択肢が一般に降りてくることだと言える。

つまりお昼ご飯に魚を食べるという生活のデザインが可能になったのだとも言える。

もっとわかりやすい例は、写真が身近になったのはスマホにカメラが搭載されて、撮った写真を誰かに送れたり、WEBにアップできるから。さらにいうとインスタの補正機能を使えば気に入った画角や明るさで自分の好きな風景を使って何かを表現できるようになった。つまりこれも自分の人生の一部を自分でデザインできるということなんだと思う。

コロナ禍で僕だけじゃなく様々な人が料理にハマったのは自宅で食べるお昼ご飯を自分でデザインしたくなったのだと思う。デザインできるだけの情報(バズレシピ)や具材が魚の切り身のように例えばガラムマサラがスーパーで小分けで売っていたり、テクノロジーが援軍になってあらゆることがデザインできるようなってきたんじゃないかと思う。

ここで大事なのは安く、いつでも、誰かに皺寄せを行かせずに達成できる点にある。

だからエニタイムフィットネス(以下A F)で人生のデザインを感じたのである。

元旦に体を鍛えるというのはついこの前まではなかなかハードルのあることだった。これまでのジムは当然元旦は休みだったし、公共の体育館もほぼ休み、頑張って極寒の1月に走ったり自転車に乗るくらいしかなかった。ところがAFは24時間年中無休で自分の行きたい時間に行ける。(さらに言えば行きたい場所でも叶えてくれる ※現在現在日本全国950店舗!)

で、なんてこんなことが可能かというと無人運営という部分が大きいのだと思う。他の多くの店がクローズする理由は従業員の確保である。もちろん鍵の仕組みや中央で入退館の管理システム、いざという時の警備の駆けつけなどテクノロジーがこれを可能にしている側面も大きいのだと思う。

なんだかA Fの提灯投稿になってしまっているが、
「誰かが誰かの人生を自分でデザインできるようする」為の環境整備であったりサポートを僕が僕の分野でできることがたくさんあるように感じている。

具体策はこれからだけども今携わっている事業でもこの観点でもう一度見直ししてもいいと思っている。

よし!今年はこれでいこう!

#note書き初め

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