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「もうすぐ受験だけど、会ってて大丈夫?」
「うん」

「今どんな気持ち?」
「うーん、、」

「不安とか、焦りとか、こわいとか。」「いや、そういうのはない」

「何時くらいまで勉強してるの」
「10時くらいかな」

「あ、そんなもんなんだ」
「一気に詰め込むと忘れるから」

感心した。

ひとりっ子で、マイペースの息子。

急かされたり、他者の強い力でコントロールされることなく育つと、こんなふうに自分を見れるものなのか、、

少し周りとは違う環境で、彼なりに色々なことを見てきて、その中で、自分の置き場所や立ち振る舞いを考えることも多かったのだろう。

自分の中学生活3年間は、一気に世界が広がって、その中で、自分がどう立ち振る舞ったらいいかわからず、どう他者との関わりを作っていったらいいか、ひたすらもがいて模索する日々だったような気がする。

本当の自分なんて考えたこともなく、ただ自分をどう見せるか、他者にどう思われるかで疲れていた。

多分彼はそこに重点をおいていない。

我々は、大人になっても今だにそんなことばかり考えている。
ブランディングとか、マーケティングとか、肩書とか。


さて、彼の話に戻す。
彼の中学生活ももうすぐ終わる。
初めて会いに沖縄に行った時は、彼はまだ小学生にもなっていなかった。

あれから10年、彼との関わり方もひとつの区切りなのかなあと思う。
彼には、何もしてあげられていない気もするし、一方で何か自分が彼のスパイスのような存在でいるような気がする。

この間パートナーのいくちゃんに話したことを思い出した。
子どもが成長していく中で、子ども自身が方向性を決めるのは母親からで、その質を決めるのは父親からのような気がする。

料理で言えば、どんな料理を作るのかは母親からの影響で、どんな味にしていくのは父親からの影響を大きく受ける。

別れ際に
「すげえなあ、お前。」

と言ったら
(なにが?)みたいな中に、
少し照れくさそうな表情が見えた。

もうすぐ15歳になる痩せっぽちの背中が頼もしく見えた。
まるでアゲハチョウが蛹から大きな羽を広げることに、少しの遠慮とためらいを感じているように感じた。

それを父は、少し離れて見守るのみ。

89回目の沖縄にて





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