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息子が登る山を人生に勝手に見立てる父

今日の彼は最近になく、よくしゃべった。


受験勉強やら、やらなければいけないタスクみたいな世の中の無言のプレッシャーから父親との時間では開放される、のかもしれない。

今日はどこに行く?


毎回最初に、
今日はどこに行く?
という問いかけから始まるのだけど、観光客がいくような賑やかなところなはふたりともいまさら行きたくないし、(そういえば国際通りは一度も一緒に行ったことがない)特にその時間が心地の良いものであれば、正直どこでもよい。

でもあえて条件をつけるのならば、何か二人の会話がはずむような、彼が心を開放していろんな表現をたくさんしてくれることを毎回望んでいるし、行く場所がその手助けになればいいと思っている。

だから、あまり行き先は決めずにのんびり散歩をするようにふたりの時間を過ごしたい、のが望み。
でも、1日中エンダー(ローカルのハンバーガーショップ)で過ごすのも、それはそれでモヤッとするだろう。

彼がどう思っているのか分からないけど、少なくとも彼にとっての沖縄は単なる地元だから、美しい慶良間プルーを見ても多分僕の1/10しか心躍らないだろう。


で、結局行き先を決めないまま車を走らせた。

最初の大きなT字路に差しかかって、

北?南?どっちに行く?

・・・北。

あとは行き先を決めずドライブだ。


いつになくいろんなことを聞かれた。


周りの人に興味関心を持って、その結果質問をする。自分の中だけでもがいているところから抜け出て、周りに意識を向けられているから、聞きたいことが出てくる。そしてそれを表現する。
彼の変化と成長を感じた。  

そして息子は父が思っているより父を見ているし、いろんなことを覚えているものだ。

父の仕事について

八丁堀のあそこのセミナールームは今どうなってるのか聞かれた。
5年くらい前、東京にきた彼を、職場に連れてきたことがあった。
どんなことをしているか、どんな場所だったか、説明したことを彼はよく覚えていて、感じたことを話してくれた。

どれくらいの金額で貸していたのか、黒字だったか赤字だったか、いまどうなつているのか、どうしてクローズしたのか、、

コロナで人が集まれなくなってしまったこと、毎月かなりの金額の家賃を払わなければならないこと、将来を考えて閉めたこと、借金を今でも返しているけど素晴らしい経験になった、ほんとうにやって良かったと思っていること、、、そんなことを話した。

彼は、
そんな高い金額で貸すんだ、とか
ルンバが置いてあったね、とか
駅からすぐだったもんね、とか
感じたことを話してくれたのが嬉しかった。
僕の経験が生きていくための何かの基準になってくれたらなと思う。

そして、今日はサービスデーで、シングルの金額でダブルにできます!
という名護のブルーシールアイスのお姉さんの提案を、食べられないからシングルでいいですとお断りする彼の姿に、ああ、自分とは違うんだなあと思わさせられた(僕はお腹いっぱいでもダブルにするタイプ)


その後、名護岳に登った。

途中て彼がゼイゼイ言い出した。
聞いたら気管が狭くて吐く力がたりなくて喘息が出るらしい。
 

ゆっくり行こう。
僕が先になってゆっくり登ってたんたけど、

歩きだして1時間、ようやく頂上がみえてきた。頂上まで最後の近くのアタックがきつそうな急坂で、無理しないでゆっくり行こうって言った。彼がいけるか心配だった。 受験前に無理はさせたくなかった。
 


しかし、少したつと彼が自分から先に登りだした。
急な坂で足を踏み外したら転落する。膝に手を当てて、くたくたになりながら歯を食いしばって無言で登っていく彼を下から見ながら、その山を勝手に彼の人生に見たてて、自分の足で登る息子を離れて見守る父を感じていた。そして、頂上に到着した。彼は暫く顔をあげられなかった。


帰りの車は彼はほとんど爆睡だった。

別れ際に、
しかしお前すごいな。受験前だってのに、焦りとか不安とか全く感じないよ。もうすぐ試験とは思えない落ち着きぶり。勉強してる?どこからくるんだ、その落ち着きは?

と聞いたら、
過去問やったけど、なんか簡単だった。今は、自分が好きなやりたいことを勉強してる。

やはり、子どもは親を超えていくようにできているらしい。



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