「どーでもいい」がなかった祖母
「どーでもいい」になったら、すべてがどうでも良くなる。
先日の書道教室で、S先生が言った言葉。
「毎日の洋服。何着るか考えたときに、どーでもいいって思ったら、すべてがどーでもよくなる」という主旨だった。
この言葉で思い出したのは祖母だ。
祖母は、毎日のルーティンがあった。
朝起きるとふとんを畳み、服を着替える。肩にうすいケープをかけて髪を梳き、ケープと櫛についた髪の毛をキレイに取り除き、まとめて、ガムテープで抑えてゴミ箱へ捨てる。
毎日身なりを整える姿を、当時は当たり前に見ていたが、今一番思い出す姿だ。
窓際のあたたかい日差しの中で、小さな鏡と櫛を納めた箱を手元に置いて丁寧にゆっくりと行うその作業は、瞑想に近いのかもしれない。
祖母の辞書に「どーでもいい」はなかったのだろう。
わたしは、休みの日はいつまでも寝間着でウロウロゴロゴロ。
出かける時間になって慌てて着替えて髪を適当にとく(なんなら、手ぐしで梳く(笑))。
祖母の貴い姿をnoteに書きたいと思ったのに、まだ寝間着でウロウロしていた私は、これじゃいかんと着替えて、この記事を書いている。
なんだか思い出せたのが幸せだなぁと思ったが、これじゃばーちゃんに「おやおや」と苦笑いされてしまう。
今日は、やりたいと思ってるやらなきゃならんこと、やり切ってみるかな。
#66日ライラン
25日完
3875m
今日のいいこと3選(朝バージョン)
・おばあちゃんを思い出した
・空が青空☀️天気よし!
・ツバメが飛び始めてるなーに気付く
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