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初投稿

あけましておめでとうございます。

東京で約10年、鹿児島で約15年、スポーツ業界に携わってきた経験や体験を通じて、 感じたことや、思ったことなど、つらつらと書き留めていこうと思います。

スポーツ業界といっても多岐に渡りますが、自分がいた場所はどちらかと言うとスポーツイベントが主戦場です。

大学までサッカーをしていたこともあり、 Jリーグクラブのフロントで働きたい!と当時の全クラブに履歴書を送りましたが、かすりもせず。
(後にこの業界はコネクションが重要だと知るわけですが、鹿児島の学生に、そんなことわかるわけもなく、 当時はとてもへこんだ記憶があります)

サッカーダイジェストに広告を出していた株式会社バンフスポーツ に電話をしたら「3日後に面接に来てください」と言うことで、勢いに任せ羽田空港近くの東京ベイフットサルクラブに行ったら「合格」と言われ、約2年間民間フットサル場のオペレーションに関わり、 各施設のCRM構築や、 新規出店など、 貴重な体験を得られました。

その後、 株式会社医療データセンターで約2年間マーケティングに従事。 薬がどのように市場で認知され、浸透し、購買されていくかをマーケティングと言う視点でとらえる科学的な手法に触れることができました。 この時の経験は、後によくも悪くも影響与える出来事となります。

サラリーマンをしながら、週末はサッカー・フットサル業界の仕事もお手伝いしながら、気がつくと睡眠時間がほぼほぼない状況が続き、これじゃぁ身体によくないな、ということで有志で有限会社スリーラインを立ち上げ、 大人のためのサッカー教室やJリーグクラブの携帯サイト運用、 私自身は民間フットサル場のコンサルティングやフットサルイベントを都内で展開。

そして株式会社スポーツリンクアンドシェアを立ち上げ今に至ります。

会社名を決めるときに「 スポーツによって人々がつながり、 そこから派生する喜怒哀楽を共有できる場を創造する」 と言う思いで社名を決定。

当初は、スポーツ業界の人材派遣を目指していましたが、 これが全くと言っていいほど鳴かず飛ばずで。。。
最初の2年はホームページ制作や通販、そして民間フットサル場のコンサルティングや日本フットサル施設連盟からのお仕事で何とか食いつないでいました。

ちょうどその頃、長男が生まれたこともあり、故郷である鹿児島に帰る機会が増え、少しずつ鹿児島での仕事を増やしていくことに。

具体的には鹿児島県フットサル連盟や 鹿児島県サッカー協会のホームページ 制作・運用や、 ワンデイのフットサル大会を開催したりと、 鹿児島時代のつながりを生かした事業だったといえます。

あれから17年。

ちびっこのりだーをしたり
リレーマラソンを企画運営したり
ランニングイベントの計測業務をしたり
ボートレース鳴門の地域活性化委員になったり
枕投げ大会をしたり
水鉄砲の大会をしたり
スリーオンスリーの大会をしたり
運動会をしたり
鹿屋体育大学の地域連携担当したり
etc

コロナを経て、自分自身も48歳を迎え、次世代へ 何か少しでも紡いでいくことがあればという思いを込めて。

性格的にきっちりと定期的に なんてことはできないので、 気が向いたときに書き留めていく予定です。

と言うことで今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


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